(文 森富子)
Part 3

第70回芥川賞の授賞式で挨拶する森敦(昭和49年・62歳)
 昭和49年2月6日夕、東京・新橋の第一ホテルで、盛大に行われた。同時に受賞した野呂邦暢氏とともに壇上に立ったが、「森氏は、壇上から手を振るなど余裕たっぷり。『この年齢になれば、いい作品をといわれたって無理だけど、悪いといったって、そこそこのものは書くわけだし……』。新人らしからぬことをするりといってのけ、文壇復帰四十年ぶり、休火山の爆発にたとえられる“怪物”ぶりをのぞかせた。」(朝日新聞・昭和49年2月9日)
NHKテレビ「ビックショー」に出演した森敦と、フランク永井氏、青江美奈さん。
 歌謡番組の中で歌手たちとのインタビュアーとして登場。その第1回は、昭和49年4月7日、午後8時から放映の三橋美智也氏であった。上記2人のほか、春日八郎、三波春夫、森繁久弥、島倉千代子、都はるみ、小柳ルミ子、天地真理、森進一、二葉百合子、水前寺清子、沢田研二、橋幸夫などの各氏と一年間、「ビックショー」で対談した。
ラジオ放送のマイクに向かう森敦。
 芥川賞受賞直後からテレビ、ラジオに頻繁に出演した。特に、昭和49年から7年間にわたって解答者をつとめた文化放送の「ダイヤル人生相談」は、世の評判を呼んだ。「豊かな経験に裏打ちされた解答は、鋭くて温かだった。」(担当した鎌内啓子デレクター)
NHKテレビ「若い広場 森敦・檀ふみ、青春を語る」の一場面。
 昭和49年7月28日、午後6時から放映された。そのとき、ふみさんから聞いた話について、ふみさんの父・檀一雄氏の死去を報じた「サンケイ新聞」(昭和51年1月2日)に書いた追悼文の中でふれている。「檀一雄の死をテレビで知り、ぼくはいいようのない衝撃を受けずにいられなかった。……忘れもしない。……レコードをかけ、朗らかに笑って、この音楽を思い出すかねと言った。思い出さぬはずはない。チャイコフスキーの『アンダンテ・カンタビレー』で、ぼくの処女作『酩酊船』のモチーフになっていたものだ。ふみちゃんから聞くと、このレコード一枚のために、これはあの時のものではないと言って、なん度も買いにやらされたそうである。」
東京12チャンネル「人に歴史あり」の一場面。
メーンゲストの森敦(左より二人目)と檀一雄、三好徹(右の二人)の各氏。
(左より二人目)と檀一雄、三好徹(右の二人)の各氏。
 昭和49年12月13日、午後10時から放映された。ここに映っている檀一雄氏は若いころからの友人で、森敦の芥川賞受賞を喜んで、九州は能古島から病を押して出演した。三好徹氏とは、氏の取材が縁で出会った。昭和30年4月、森敦が働いていた電源開発の尾鷲出張所でのことだった。
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