(文 森富子)
Part 6

東京の雅叙園で結婚した花婿、花嫁姿の、森敦と妻・暘。
 昭和16年5月の挙式(Part 2参照)。森敦29歳、暘23歳。妻・暘とのことは、「わが妻 わが愛」(Part 7自筆原稿参照)に詳しく綴っている。
結婚式後の記念写真。
 写真の台紙にMARUNOUCI HOTELとあるが、花婿姿の森敦と留袖姿の妻・暘の結婚の挙式は、雅叙園。記念写真の台紙と雅叙園との違いは不明。
新婚時代の森敦と妻・暘。
 昭和16年(1941)に結婚式をあげた。森敦29歳、妻。暘23歳。太平洋戦争勃発の年で、富岡光学機械製造所に入社した翌年にあたる。昭和20年(1945)終戦で解散するまでの富岡光学時代に撮った写真と思われる。
尾鷲にいたころの森敦と妻・暘。
 電源開発に勤務するため、昭和32年5月に、酒田市から尾鷲市に移った。昭和35年9月、電源開発を退職して、新潟県弥彦村に移り住む。口癖の「10年働き10年遊び……」はインパクトを与えたが、電源開発で働いたのは、3年4か月。尾鷲に移ったころ、「新潮」から小説執筆依頼があったため、蓄えのめどが立ったら退職して小説を書きたかったようだ。
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