(文 森富子)
Part 8

昭和31年5月20日、酒田祭での、森敦(右)と島尾正氏(左)。
 Part 2の3枚目の写真と同じときのもの。島尾氏は、小説「鴎」(『鳥海山』『全集第3巻』)に登場する「Sさん」。森敦はエッセイ「心やり」(『全集第7巻』)に書いている。〈小さな印刷屋ですが、お勤めになるお気持ちはありませんか。あなたのような人がいると話したら、ぜひ来てもらえないかと言うのです。ぼくが差し出て心配し、あなたのことを頼んだのではありません」/山形県庄内平野の大山町にいたある日、そんな手紙が島尾正君から来た。十数年前のことで、島尾正君はぼくが転々と居を移していた、いわゆる放浪の行く先々に、遊びに来てくれた友人たちの一人である。のん気には構えていたものの金もなくなり、なんとかせねばと思っていたところだったから、この手紙は嬉しかった。〉
53歳の森敦(緑川恒夫氏撮影)。
 昭和40年(1965)、庄内の大山町から上京し、印刷会社に就職。文学仲間との交流が始まり、酒を飲みながら談笑したときの一齣。
53歳の森敦(緑川恒夫氏撮影)。
 前掲写真の一連のもの。『全集第2巻』冒頭に使用した。
69歳の森敦。
 昭和56年(1981)読売新聞夕刊の1面のシリーズ記事に森敦(「身一つ流木に似て」)の表題で掲載された写真。
65歳ころの森敦。
 昭和52年(1977)ころの撮影と思われる。本人のお気に入りの写真。昭和52年1月、調布市から新宿区市谷田町に転居した。『全集第3巻』冒頭に使用した。
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