018 著者に代わって読者へ
   自在の境
出典:講談社文芸文庫 浄土 森敦 平成8年3月10日
 森敦は長い放浪生活を送ったが、どこへ行くにも持ち歩いた机が残っている。机といっ
ても、そのむかし、どの家でも使っていた、折り畳み式の小さな長方形のちゃぶ台である。飯台とも言われるこの机は、机上が一枚板で、使い古したためか外側にそり返っている。両端がそり返ったために中央が谷間となり、水などをこぼしても、畳にこばれ落ちることなく、机上の谷間に集まってくれる。
 この机で食事や客のもてなしをしたばかりか、読書や書きごとなどにも使っていた。机の前に座れば、そこは心地よい食堂になり広々とした座敷になり落ち着いた書斎になるのだ。つまり、机そのものが、食堂であり座敷であり書斎である。部屋そのものには関心がないのに、部屋からの眺めには妙にこだわった。転々と移り住んだ住まいの多くは高台にあって、眺めがよかったんだと言っていた。
 眺めにこだわった理由は、森敦の頭の中では、家や部屋という区切りを取り払って、小さな机の持つ空間を自然界へと拡げていたからだろう。悠然と机に向かっていると、小さな机が大きく見え、狭い部屋も広大な曠野に思われたのであろう。内部におればそこは広大な世界であるという持論が、この机にも現れていたのだ。
 机上を見れば、醤油やソースなどをこぼした染み跡、大小さまざまな煙草の焦げ跡、刃物などでつけた傷跡など、酷使された痕跡が数えきれないほどあって、何かを語りかけてくる。
 机上に刻まれた生活の痕跡も貴重な森敦の刻印だが、これこそは森敦の本当の刻印だというものが残っている。それは森敦の自筆文字である。光を当てれば、楷書の自筆文字が机上一面に現れるのだ。文字の上に文字が重なり、行をなしている文字列があっちこっちと向きを変えて並んでいても、はっきりと読める。角度を変えて光を当てれば、また新たな文字が現れ、その文字が重なり合って行が交差していても、しつかりと文章として判読できる。机上に刻まれた自筆文字を見るたびに、私は森敦の筆圧の強さの意味を考えてしまう。
 平成元年七月の初めだった。かつては、夜を徹して飲んでも酔いつぶれるどころか、泰然として語り続けて飲むという酒豪であったのに、一杯のビールさえ飲めなくなった。横山大観は病床に臥しても、割り箸の先に巻きつけた脱脂綿に含んだ酒を飲んでいたという。その大観のように、「チューチュー」と末期の酒を飲むんだと笑っていたのに、その酒が飲めなくなった。飲めなくとも、毎日ビールで乾杯をして、コップを口に当てて飲む真似をした後、飲んでくれ、とコップを突き出した。私が一気に飲みほすと、さも自分が飲んだという顔をして、美味しいね、と声をはずませた。
 そんなある日、書き上げた原稿を手にしてこんなことを言った。
「文章は腕力で書くんだ。その腕力を出そうとしても出ない」
 この言葉が気になってしかたがない。「文章は腕力で書く」とは、独自な方法や理念の実現には腕力だ、の意味にもとれる。常々、「書く以上は、独自性がなければならない」と言っていた。「腕力」で独自性を考えていたにちがいない。
「腕力」といえば、全身これ筆圧というくらいに、渾身の力をこめて書いていた。だからこそ、あの机上一面に文字が彫り込まれているのである。そればかりではない。墨痕鮮やかにしたためた書が気にいらなくて和紙のある限り書き直す書家のごとく、書いても書いても気に入らずに書き直していた。納得するまで書き直す行為もまた「腕力」であったのだ。
 考えてみると、芥川賞受賞作「月山」は何度書き直したことか。特に冒頭部分に挑んでいた。原稿用紙の裏に、河川や道路を引き、山々を描き、村々をおいて、それは俯瞰図のようなものだが、これを冒頭で書きたいと言った。注連寺は月山の内部にありながら、その注連寺から月山が見える、謂わば壺中の天で、内部にありながらそこは広大な世界となると図解をした。書き出しが定まると筆は滑らかに走ったが、二百枚に満たない「月山」に使った用紙は、その何倍という「腕力」ぶりであった。『鳥海山』に収められたどの作品も、「月山」と同様の「腕力」で仕上げたものである。
 原稿を鋏と糊で切り継ぎしながら、納得するまで書き直して、完膚なきまでに創り上げる姿には、鬼気迫るものがあった。あの机の裏側には、切り刻んだ原稿を貼りつけてから、指先に残った糊を塗りつけた跡が残っている。幾重にも塗った糊の盛り上がりも「腕力」の跡なのである。
「月山」から十年ほど過ぎて書いた『われ逝くもののごとく』では、ほとんど鋏と糊を使わなくなっていた。「腕力」の質が変わってきたのだ。無駄玉を乱発しない「腕力」、計算の行き届いた「腕力」。かつて「暗算ができなければ、プロの小説家ではない」と言っていた。その言からすれば、暗算のできた「腕力」によって、『われ逝くもののごとく』を書き上げたのだろう。
 そして、最晩年の作品「浄土」「吹きの夜への想い」「門脇守之助の生涯」に至って、「腕力」は失せたかのような状態になった。森敦自身も「腕力を出そうとしても出ない」と言ったが、覚悟して、頭脳的な「腕力」へと変化したのだと思う。この覚悟によって自縛から解き放たれ、作風も自在感あふれるものになり、読む者に心地よい浮遊感さえ味わわせてくれる作品となった。
「浄土」の次の部分は、美しくて印象鮮明だ。浄土をかいま見たような気分になって忘れがたく、思い出すたびに心をなごませてくれる。
 
 「見て。みんなで泣いてもらったんで、お墓の人が喜んでひらひらと踊ってるわ」いく
  つとない土饅頭の向こうで、ほんとにチマチョゴリの女たちが踊っているのが見える。
 「唄も聞こえるじゃないの。まるでお浄土のようね」
 
 韓国への旅も、あたかも「お浄土」で遊んで来たような気にさせるし、現実からあの世へ自在に浮遊させてくれる。自縛から解き放たれた森敦自身の魂もまた自在に漂っているように思われる。
「吹きの夜への想い」もリアリズムの手法をとりながら、実は「わたし」以外の人たちはあの世に逝ってしまっている。「想い出」を語るのは「その人」の蘇りを待つ気持ちからだろう。この作品の題は、自筆原稿では不思議なことに「悲恋」であった。はんなりとしたイメージを持ってしまうのだが、これもまた自在の境で得たものだと思う。
「門脇守之助の生涯」を読んだとき、思わず「『月山』では、じさまが一人で注連寺の寺守をしていたけど、実際は奥さんがいたのね」と訊くと、森敦は「房代ばあさんを出さないから、『月山』になった。それが小説だよ」と応えた。「月山」を表とすれば、「門脇守之助の生涯」は裏という関係にある。「あの人」と、門脇守之助と、妻の房代ばあさんとが自在に交わっているが、最後に至って、あの世に逝った門脇守之助と房代ばあさんは、この世の人であるかのように「あの人」と交わっている。あたかもあの世の人もこの世に在るがごとくに、小説世界は自在である。
(もり・とみこ=故・森敦氏の養女、作家)
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