005 TVから見てやるョ
出典:夕刊フジ 昭和49年3月1日(28日発行)
森敦、出演を語る
 「タレントじゃないから好きなようにやる。六十にして心の欲するままに従えで、あえて矩をこえずとは孔子の語だが、ぼくは六十を超えているので、心の欲するまましゃべるよ。ぼくはいつのまにか放浪者や風狂の人になってしまったけれど、自己宣伝ではなく、己れを知ってもらうためにも、受けて立とうと思っている。
 ぼくが見られるんじゃなくて、ぼくが見てやるつもり。うまくいくかどうか、処世術の浮身の術でいくよ。でもテレビに出たら、サングラスかけてカツラかぶらなくちゃならなくなるかな。テレビだろうと、『月山』だろうと、同じだな」
森敦、テレビを語る
 「ぼくがね、じいさまにしては、若い歌手を知っているのはね、潜在知識があるからなんだな。
 テレビは、受信料払ってないつもりだったので、見られないと思っていたけれど、あれ、自動振り込みで知らない間に払っているんだね。それで、テレビは見てないけれど、いつもつけている。
 ぼくの住んでいるのは、小さいアパートでね。住人は女の子ばかり。みんな歌謡曲の番組ばっかりテレビで見ているんだな。それが壁越しに聞こえてきて、とてもじゃないけれど書けない。ホラ、人がささやき声で話していると気になるけれど、はっきり聞こえれば気にならない。そこで、桜田淳子ちゃんの歌が聞こえてるな、と思ったら、ぼくもそこにチャンネルを回すんですよ。
 テレビをつけることはぼくにとってテレビを拒否することである」
森敦、視聴者を語る
 「かわいそうに、テレビを見るのは、自分一人になりたいからじゃないかな。歌謡番組やドラマ見ている間だけ、一人になれるんだな。あの世界に入り込むことによって、世の中のいろんな嫌なこと忘れているんだな。簡単なカタルシスを得られるんだよ。いろいろ考えごとして、神経を疲れさせて眠るより、忘れて眠った方がいいからな。歌謡番組は、そういう点で、一番いい番組だ」
森敦、TV文化を語る
 「何千年も、伝達の方法として文字の文化に頼ってきたので、すぐ消えるものはむなしいと思う人がいるけれど、それは“青い考え”。短くて瞬間に消えるものほどいい。起爆力が強いですからね。映画よりCMの印象が強いのが、そのいい例。─今、何時(なんどき)ですかあ─ですよ。
 ワーズワースの詩にあるでしょ。─私は天空に向かって夢を描く。それはむなしく天空に飛んで消えていく。しかし人々の心に残っている。─テレビみたいに瞬間に消えるものこそ最高の伝達法ですよ」
森敦、NHKを語る
 「ぼくのテレビ出演攻勢で、一番激しかったのがNHK。お人柄が出ればいいんですと、ニコニコして何度もやってくる。ほかのテレビ局から声がかかったら、その時は、ほどほどにともいっていた。NHKらしくない変な格好して頼みにきた人が、NHKに行ってみたら一番大きなデスクに座っていた。
 あれは、つりタマ投げてきていたんだな。こっちがいい気になると網をかけてくる。小説でも、最初下手だな、と思わせてどんどん引き込んでいくのがドストエフスキーみたいに最高に上手な小説だけれど、それと同じ。
 NHKは、田舎を征服せねばならない。NHKしか聞こえないところがあるからね。そこで第一回(四月七日)は浪花節がいいってことになる。そうすると三波春夫。あの人、大御所だそうですね」
森敦、ゲストを語る
 「アグネス・チャンとか桜田淳子といった若くてきれいな人がいいな。都はるみ、島倉干代子─。平尾昌晃って人もおもしろいな。
 ぼくは以前はね、天地真埋みたいに甘くてやさしい声だったのが、昨年、病気をしてから森進一みたいな声になっちゃった。森進一は、あの“泣いて血を吐くホトトギス”って声が女の人にはいいんだろうな。」美声を失ってから、美声の主と対談するようになるとは、ぼくも因果だな、冗談じゃないー」
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