018 『小説「月山」と月山』
出典:S.L.B.C会報 昭和49年11月20日
 「月山」は「季刊芸術」に頼まれたんです。季刊だからゆっくりでいいというんです。それなら僕もやれんことはあるまいというわけで書いたわけです。割合スラスラ書けたですね。小説の方からも僕を書かせていく状態になったんです。初めはあんなに長くではなく短くやろうと思ったんだけど、第一章の書き出しを構えちゃいましたからね。短く書くのならああいう書き方はできない。あの頃は書きながらいろんなことが湧いてきて、あのまま書いていたら何百枚にもなるんじゃなかったかな。
 小説というのは、いつも今日ただ今という現在感がどのくらい漲っているかということが、読書を魅きつけるもとですね。そのためには、何か一つ前提を設定してずーっと書くことが演繹的になりますね。だから演繹的になった方が身につまされるわけですよ。ところが僕の場合は帰納的な事実が多いわけですよ。そうすると再編集といったって、ウソつかずに編集するつもりで色々なところをカットせねばならない。だからもし「月山」が効果があがったとしたら、そのカットの方であがってるんじゃないかな。カットしたところが何か膨らみになるとか、幽玄的なものだといわれますけどね。
 だけど物を捨てて書くものですから、こぼれた話が沢山あるわけです。あの中には事実である話もありますし、事実でないところもある。事実でないというのは、いわゆる僕なら僕がこれだけの長さの話をしたと、そしてあなた方が都合のいいところだけをとるわけですね。そうすると全く反対を意味するようなことがでてきますね。「月山」がそういう結果になっていますから、いずれこのこぼれた部分を、小説じゃなく随筆とか「『月山』こぼれ話」、そういうことで埋めることをやらんと、ほんとの「月山」にならない。(口述)
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