020 私の一九七四年
出典:不明
 「月山」で一月に芥川賞を受賞して以来、身辺がにわかに賑やかになった。古山高麗雄さんのすすめで書いた小説が受賞したのだから、古山さんには感謝している。六十一歳で受賞ということと、十代に横光利一さんの推薦で新聞小説を連載した時以来四十年に及ぶマスコミでの空白の時間とで新聞、週刊誌、テレビ、ラジオにぼくの写真や記事や声が氾濫した。
 人に「それだけ忙がしいとどうかなってしまうんじゃないか」と心配顔に聞かれることがよくある。「それでも、健康に対する不安も全くないし、仕事は選んでやっておりますから」と答えると相手も一応納得する。編集者などからも「受賞後半年でひまになる」といわれたが、それは嘘で、今のほうがファン・レター(?)なども多くなったし、テレビ・ラジオの出演もふえるばかりだ。自室をホーム・スタジオに改造して電波にのせて喋ったりもしている。
 ぼくがなぜこれほどマスコミに迎えられるのか自分自身でも不思議なほどだ。ただ一つ言えることは、ぼくの少年時代には、ニーチェとかキルケゴールの全盛の時で、現在、ニーチェ、キルケゴールが再び注目を浴びていることと思いあわせて考えてみると、時代が皮相的に一回転して、回帰しているからではないかと思っている。
受賞前はほとんど毎日勤め先の近代印刷に通っていたが、受賞後は一週間に一日出勤ということになってしまった。早朝の山の手線での執筆もできなくなった。客にじろじろ見られ、話しかけられ、「いい作品書いて下さい」などといわれると、ぼくの方が意識してしまって書けなくなってしまう。
 この十月に二十数年ぶりで月山に行った。月山はいまでも厳然と身に迫ってくる。滞在中、ついに一度も頂を見ることができなかったが、鳥海山はその富土山型の全容を見ることができた。この一年は数多くの人と出逢ったし、さまざまな仕事もしている。しかし受賞前の心境と全く同じ境地であり、何ごとも人生経験のひとつだと思っている。(談) (もり・あつし氏=作家)
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