041 強い者が勝つ麻雀の醍醐味
出典:新評 11月号 昭和50年11月1日
 母親が好きだったせいで、ボクはもともと麻雀が好きだったし、強かった。一高の試験を受けるときも、試験勉強はやらずに麻雀をやっていました。たしか「赤門」という麻雀屋さんだった。試験勉強なんて、そのきになってやってもしょうがないし、ボクとしては同じ一高の受験生を麻雀に誘えば、そいつが落ちて、それだけボクが合格する率が高くなるという腹もあったわけです。
 ところが、そういう友達も合格して、当てがばずれたという経験あります。それにボクは強かった。母親が負けているとボクが交代して負けを取りもどしたぐらいですからね。ところが、今はまるでやりません。戦前でプッツリやめてしまいました。というのは、今の麻雀は技術四分に運六分、社交性もずいぶん強くなってしまったからです。昔の麻雀は技術六分に運が四分、そして礼儀正しいものであったわけです。たとえばドラなんてものは昔はなかった。たぶん満州のルールが入ってきたんじゃないでしょうか……。
 だから今は強い者が必ず勝つというわけにはいかなくなった。昔は強い人は必ず勝ちました。そりゃあ百回やれば一回ぐらいは負けることもありました。
 しかし、あの頃は麻雀屋に行くと上位の人の成績が貼り出してあったんですが、それでみると、どこの麻雀屋に行っても強い人は強かったんです。ええ、柔道や剣道と同じなんですよ。
 表情だって真剣そのものでした。今はゲラゲラ笑いながらやっているでしょ。社交性がずいぶん強くなってしまった。
 そういうわけで、麻雀の好きなボクもやめてしまったわけです。
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