050 奈良の文化は千年の心を語る
出典:文藝春秋 昭和五十一年 四月特別号 昭和51年4月1日
──菊池寛さんとの出会いが小説を書くきっかけだそうですね。
森 ボクがまだ中学生(朝鮮・京城中)の頃、京城で文芸講演会がありましてね。菊池寛、横光利一、直木三十五らが訥々として自分の思うことを喋ったわけです。ボクは雄弁術を学ぶためききにいったんだが、一人として上手な人はいない。物おじしない方だから懇談会の席で「下手だけど、あれでもけっこう演説になってるなア」と菊池さんにいったんです。そしたら「君にやってもらえばよかった」といわれた。これが初めての出会いです。
 一高に入学後、雑司々谷の家を突然訪ねたらボクの顔をみて「おう」と声をあげた。やはり生意気な奴だぐらいに思ってたんですね。それから二、三度通ううちに「君、小説を書いてみないか」といわれ、横光さんの推薦で東日・大毎(現毎日新聞)に書いたのが「酩酊船」なんです。
──「酩酊船」後は沈黙と放浪の四十年ですね。
森 一高を中退したあと、前管長上司海雲さんの厚意で東大寺に厄介になったのがきっかけで、奈良でももっとも見晴らしのいい瑜伽山というところに十年ほどいました。もともとボクはデカダニズムとかダンディズムということを考えて、これがおのずと仏教の“空”とか“無”とかいう世界にひき入れてくれたわけです。知識なんかいくら知っとっても知恵の邪魔になるだけじゃないか。ふとそんなことを考えて学ぶことをやめ、これが十年働いては十年遊び、十年遊んでは十年働くといった生活をする結果になりました。
 ボクは学校をやめるとき一つの覚悟をしたのです。自分が好きでやめるのだから、働かなければならなくなっても職業に文句を言わない。小さな町工場でもいいし、大会社にはいれて自分の同級生や後輩が上司にいたとしても、それでどうのということは考えまい。ですからどこの会社でも実に愉快でしたな。それに、虚数の中に実数がふくまれているのであって、実数の中に虚数があるのじゃない。こう考えていたから、たとえそれが虚業だと思えることがあっても、空しいと考えたことはない。したがって、やる以上は真剣にやる。これがボクの考えです。
──“ふるさと”については……。
森 自分の生れたところが“ふるさと”だなんてボクはいいたくない。“ふるさと”については答えられないけど、“ふるさと”を求める気持ならよくわかリますよ。なぜなら、それは自己を回復または発見することですからね。ボクは奈良にいるとき、ああここは物心つくまで育った朝鮮によく似てるなアと思った。奈良の小路だとか土塀とかがね。朝鮮にいるときは、ここが“ふるさと”だなんて思わなかったが、奈良にきてすーっと想い出してくると、驚くなかれ“ふるさと”を想い出したような気がした。奈良の文化は簡単にいうと千年の心を持ってるわけですね。千年の心はおそらく大陸から朝鮮を通じてやってきた。単なる歴史だけでなく、われわれの深層心理を形つくってるものですよ。だから、こういったことを見出して微笑むという瞬間は、自己を回復してる瞬間なわけですよ。
──ダムで仕事されてたそうですね。
森 熊野川の上流の北山川建設所にいました。瀞八丁からさらに上流へさかのぼった池原に事務所があり、尾鷲にその窓口があった。ボクは尾鷲の窓口を一人で受け持ってたんです。十年目にやはりやめましたが、ここも実に愉快でした。ダムというのはね、近代のピラミッドといわれる巨大な構築だが、これも永遠不滅のものではない。川の水をセキとめるということは、砂の流れも止めてしまう。水だけでなく砂もドンドンたまっていくんですよ。人生五十年というけど、ダムもたいてい経済的に五十年くらいで償却するようになっています。ダムひとつとってみても、人生が語れるんです。たとえば、山というのは平面になろうとする力で安定してるでしょ。もし重力がなかったら山は安定しません。平面になろうとする力で富士山ができ月山、鳥海山ができた。ですからね。ひとたび山を切り崩すと、崩されたところから山は平面になろうとし、ぐわーっとこわれたりする。彼らはひとたび崩されると、次の形におさまるまで人間に対して復讐してきますよ。
──原子力ついてどうお考えですか。
森 原子力を考えないで、将来のエネルギ一を解決する方法がなにかありますか。これはもう世界の趨勢でしょ。国民の良識とか、原子力行政、管理とか複雑な問題はありますけど、国民が総力をあげどう英智を集めて安全に開発していくかです。日本が、工業立国をやめるというなら別だ。ただ単なる反対のための反対じゃもうおさまらんと思うな。この間の“むつ”みたいに、出ていったわ、すぐ欠陥があったじゃ、乗組員だって可哀想ですよ。こういうことをいい戒めとして、頭のいい専門家を集めて安全度を高める。日本は痛手を被むっているから、他の国より原子力に敏感になる現象、主張も尊重はしますけど、もっと大きな見地に立つことも必要でしょうね。
(提供=電気事業連合会)
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