052 家庭 暑いですね
出典:山陽新聞 昭和51年7月23日
 遊びというものはなんぞや、ということになりますとね、平凡のようですが、人間のあすの活力源になるんじゃないか…。この余暇開発センターなどというものがありまして、遊びとはなんだ、と研究されているんですね。これは普通の生活より大変なことなんじゃないかとね。私ははじめ、なにをくだらんと思っておったんですが……。
 いや、私の場合この七月初めの四日ほど三重県の尾鷲におりました。続いて中ごろは福島、山形で、またすぐ四国の高知、徳島に行く、瀬戸内海を渡って岡山に出て、それからまた神戸に寄って、その間にこんどは名古屋にいくんですね。夏の間のスケジュールはびっしりです。これは講演を頼まれたり、取材したりですが、この間、尾鷲の湾また湾といったリアス式海岸の美しい、見事な景色や山形では庄内美人を見るというんですね。なんというか。この人もうらやむ旅行なんだなこりゃ。私は、そのあちこちで、色紙を頼まれて、“わがふるさとなるがごとし”などと書いてくるわけです。いや、これは本当ですよ。
 私は人生いたるところに住んでいましたからね。外国も韓国の今のソウル、むかしの満州、樺太、今のサハリンにもいました。ギリヤークなどとツンドラで暮らしたわけです。で……しかし、よく考えてみると、人もうらやむこの旅は歓迎もされて、ありがたいことだけれど、理想的には文句はないはずだが、本当のレジャーになうているのだろうかと思うんですね。どうやら個人的には本当の遊びじゃないんじゃないか……。
 で、ここはですね、ごらんのような汚いアパート(東京・調布市)ですが、六畳に三畳ほどの台所ですね。だが、すぐ裏は竹林ですし、ケヤキなどの樹木に囲まれて日々、いろんな種類の鳥、野鳥が鳴いている。この東京で、こんな静けさはほかにないんじゃないかと思われる。
 私はここにいくつも都屋を借りていますが、そして最近は住人から日照権でもって木を切れという要求が出ていますが、私は縁陰権というのもあるんじゃないかと思うんですね。ここで、この静けさの中でうたた寝をすることこそ、私の遊び、暇ではないかということになりますね。それで、このまわりの景色、風景はみな借景です。これは高知でも三重の尾鷲でも美しい景色はこれ同じ借景ですね。ですから宗教的にいえば、私は人生これすべて借景なりと思います。
 今はまた仮に屋敷を建てて立派な庭を造っても、死ねば相続税でこれはほとんど残らない。とすると税制的にも借景ということになりますね。寝るほど楽はなかりけりといいますが、この借景の中で、夏こそ家でごろ寝する、これが最高の遊びではないでしょうか。
 ただ、私は今、最高の冒険を試みようと思っています。それは今を去ること四十年前、私が二十のころ、奈良から樺太まで汽車の旅をした、しかも鈍行でね。で、最近、当時の地図と列車の時刻表、鉄道省のものを手に入れましたので、その鈍行の旅を再現しようと思って研究しています。これはしかし難しいことですね。果たして鈍行があるのか、また乗り継いで行けるのか、今、国鉄の方の協力をいただいていますが、窓から見る風景の変化、失われた時を求めてのこの旅は今、最高の楽しみですねぇ。
 これはみなさんにもできる。地図の上の任意の一点からもう一点まで直線を引き、その通りに旅する、歩くというのは大冒険ですよ。
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 原縞用紙、机、電話、時計、ステレオにたばことライター、あらゆるものが即座に手にできる一点に森さんは座って、夏をゆうゆうと過ごしていた。
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