056 このごろ これからも放浪
出典:サンケイ新聞 夕刊 昭和51年9月4日
 不思議な本がある。二年前に出た森さんの本「文壇意外史」には文中に年月日がはいっていない。国会式の「記憶にございません」ではなく、本当に記憶にないらしいのである。
 新聞記事に必要な四つのWと一つのH。このうち「いつ」という年月日の記憶が、この人の頭脳から欠落してしまったのである。だから、新聞記事にまとめようとすると、実に具合悪い。
 「それは、非常な修業をつんだ結果なんです。これこそ仏教の骨髄です。どちらが先に亡ぶ、というように、時間ほど物事を順序づけるものはありませんね。年月日を忘れることが、悟りへの第一歩だと思って」
 この本は、森さんの放浪の記録でもある。放浪は、一高中退後にはじまった。奈良の寺への住み込み、それが仏教への接近のきっかけをつかみ、また放浪を続けた。
 ある時、おじいさんに出会った。彼は毎日、木の枝や下草を運んでいる。「毎日変化のない仕事に退屈しないのですか」と森さんがたずねた。
 彼はこう答えた。小学校の先生が運(はこぶ)と書いて運(うん)と読む、と教えてくれた。だから、一生懸命運んで、運をつかもうとしている、と。
 「このおじいさんは、一つの世界を持っているんです。ぼくは、こういう世界を持った人に、たくさんめぐり会えましたね」
 四十九年、六十一歳のとき、透明な、散文詩のような小説「月山」で芥川賞を受けた。“還暦の受賞”とか、いわれて、とたんにテレビ、ラジオや雑誌の対談などに引っぱり出され、忙しくなった。
 サビはきいているが、ものやわらかな口調。深い教養と独特の風貌。彫りの深いタレントとして、ことし二月、三木首相とロッキード問題について、テレビ対談もやった。
「ぼくは、人間存在というものは、表現にある、と思っています。文章を書くことと、テレビ、ラジオに出ることが、世間では、まったく逆の方向に進んでいるように見えるかもしれませんが、どちらも表現の一つだ、と思っているんです」
テレビなどに出られたプラスは?
 「ありましたね。美しいタレントに出会ったのも収穫ですね」
 と笑う。
 「何よりも、世界を持った人に、たくさん会うことができたことです。タレントでも、世界を持っていなきゃ、大タレントとはいえませんね。そういう人の世界から世界へとのぞき、三千世界をめぐって、ずっと放浪を続けているだけです。だから、以前といまのぼくは、まったく、ちがっちゃいません」
 手帳には、取材や講演の予定がぎっしり。そのあい間を縫って、月六十枚は書いている。
 二十六年前に住んでいた小説「月山」の舞台は、いますっかりかわった。合掌づくりの家も、ヤミ酒をつくる家もない。その「月山今昔」を書きたい。尾鷲も書きたい。二十代のはじめ、一年間カラフト(現サハリン)を放浪して北方民族とすごした話も。
 「『月山』には、その後ろに、華厳経がありました。カラフトの話は、骨組みに観無量寿経を入れようと、相当の抱負を持っています。ぼくは、何かしっかりした哲学とか宗教の骨組みが入らないと、書く気にならないんです」
 調布市の京王線布田駅近くのアパート、四畳半1DKを四部屋借りて十年住み続けたが、養女の富子さんの“圧力”に屈して、来年はじめごろ、東京・市ヶ谷の新居に引っ越す。富子さんは、バスも専用トイレもなく、通勤に不便なのに、怒り心頭に発して、自分で土地を買ったらしい。
 「いらんことをするな、といったんですが、洗たくもしてもらわにゃならんし、ついて行かざるを得ない。何しろ、あっちに権力があるんですから」
 こんどは、しぶしぶ住居の“放浪”をする。
(山)
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