057 初冬の月山・放浪回帰行 | ||
出典:サンデー毎日 11月17日号 昭和49年11月17日 | ||
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羽越本線は新発田を通って村上をすぎると日本海に飛び込むかと思うほど急に海岸添いに走り出す。「ほら海だ 日本海の北の海ですよ 白波の幅が広い 岩が赤い も少しすると黒くなるんですよ そしたら庄内に入る」 森さんは自分の家の庭の池を説明するように 車窓の日本海を指した。 「月山」が芥川賞を受賞し つづいて「鳥海山」を書いたのに なぜか森さんはこれまで一度もここを訪れようとしなかった。 それをたずねると こんどの回帰行の思いつきの奥にはまるで触れないで 鳥海山と月山とその山ふところに抱かれた庄内平野 そして日本海を ただ語りつづけるのだった。 「ここにいたときは東京が夢か幻のように思えていたが ここまでくると東京が夢か幻のようだなあ」 海鳴りと対決するように大きな声で叫んだ。やっぱりこの人は ここがなぜか好きなのだ。烏が一羽 流木にとまった。森さんは小さな声でつぶやいた。 「日本海には烏が似合うなあ」 |
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吹浦で泊まった宿のご主人の坂口さんが 車を自分で運転して行きたいとこへ連れていってくれた。坂口さんは 十何年か前森さんが奥さんといっしょにいつも松林や砂丘を散歩していたのをよくみかけたそうだ。吹浦は小説「鳥海山」の中の「鴎」の舞台である。森さんは吹浦に一年半暮らしている。 「大物忌神社のほうへいってくれませんか」森さんの注文で 海岸から山のほうへ行った。神社の角を曲がったところで 品のよい老婆をみつけた。森さんが車からころがるように降りて その老婆の手をにぎった。「おぼえてますか」「ンだ 森さんじゃろ 二階におっだ」「ンだ ンだ ばさまも元気だの」「ンだ わがくなったち(若くなリましたね)」 岡田さんのばさまで 森さんはこのばさまの家の二階に一年半いたという。ばさまはいま八十四になったとしきりに主張した。 「あがっで茶ァ飲んでげ」というばさまの手をふり切って また車を走らせた 森さんはウインドーからたびたびのり出して山をみる。鳥海山は その頂をいつも雲にかくして全容をみせてくれない。お互いはにかんでいるようだ。 |
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賢章さんに会った。賢章さんは小説「月山」の中で 主人公が和紙のカヤをつくるとき その製作のすべてを助けた注連寺の修行僧である。二十三年ぶりだとなつかしがった。 「あの冬はあのたきぎで足りましたかの」 「おお 足りたよ 十分足りたよ」 二人は二十三年も昔のことを去年の冬のことのように話した。それが少しもおかしくなかった。 賢章さんはいまえらくなっている。酒田市にある海向寺の住職で 名も永恒と変えていた。 賢章さんもいっしょに注連寺を訪ねた。注連寺のある朝日村までの途中は すっかり道がよくなっていた。賢章さんは 道路が近代的になってしまったのがすまなそうに この道はついこの春完成したのだといいわけしていた。道路の左側に赤川が添ってくると 賢章さんは「月山」の一章を暗唱してくれた。 「赤川をさかのぼって落合で大鳥川と別れると 赤川は名川と呼ばれてようやく渓谷の様相を帯びて来る。この名川をさかのぼって大網に至り七五三掛の渓谷と別れれば 名川は更に梵字川と呼びかえられ……」 賢章さんはガイドもかねて 同乗者に聞かせてくれたのだった。月山の山すその紅葉は 狂わんばかりに赤く美しかった。 |
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「寺の森さんがぎだよ─」とだれかがふれてまわった。七五三掛の人がみんな注連寺にのぼってきた。 源助のばさまも ずしょのがが(嬶)も 与兵衛のじさまも 与吉のばさまも 立花のだだ(親父)も 亀さんも亀さんの野郎ッ子も 観正院も清京院も芳吟院も和光院も そして清蔵院も宝泉院も……。 ばさまは重箱や買物かごをかかえて じさまは一升びんをぶら下げている。 賢章さんが吹浦のある遊佐町の役場から情報をキャッチし 森さんがくることを連絡していたのだ。“寺の森さん”の大歓迎会が計画されていたらしく 寺の坊は宴会場に早がわりした。この坊で森さんは和紙のカヤをはって冬を過ごした。みんなが去年の冬のことのようにその話をはじめた。 ずしょのばさまは寺の森さんに気があった 寺の森さんはカンジキを逆さにはいて笑った あの野郎ッ子は寺の森さんのタバコを買いに雪の中を走った。 寺の森さんはヤギ(七十度近い自家製の地酒)を飲みすぎて 髪の毛が逆立ちして大騒ぎした……。 じさまもばさまも 森さんもだんだん酒がまわって 七五三掛の人がいっている言葉は 他国者にはさっぱりわからなくなった。 薄暗やみの中で 頂に雪をいただいた月山が 雲のかけらもかぶらずそびえていた。 |
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写真/東 康生 文/山崎れいみ |
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