085 冥想によせて
月山──祈祷簿の蚊帳の中で広大無辺な天地を感じていたこと
出典:季刊 冥想 昭和55年9月1日
 月山にいたとき、夏の間はよいのですが、冬になると吹雪いてとても出歩けなくなるのです。二十尺も雪が積もりますし、家の中に籠っているしかない状態なのです。私は注連寺という寺守りが一人きりで住んでいる寺に滞在していました。
 私は工夫をこらして、祈祷簿、昔使った祈祷簿ですね、昔はたいへん重要なものだったのですが、これが物置きに山と積まれていた。それを張り合わせて八畳ぐらいの蚊帳をつくって、その中にいたのです。電燈をひとつ引き入れていたので、自分の体温と裸電球の熱とで、蚊帳の中は結構あたたかくなりました。
 冬のくる前に谷に降りて、東西南北の山の景色を大きな紙に鉛筆で画いてきました。そしてそれを、祈祷簿の蚊帳に張っておきました。紙の蚊帳ですから、電燈の光で十分明るいのです。そうして蚊帳の中に籠って、東西南北の山を描いたその絵をながめていると、外を歩いているような気分になる。わずか八畳に満たない蚊帳の中が、広大な天地のようにおもえてくるのです。特に意識して瞑想したわけではないが、おのずから瞑想状態になるわけなのです。
 今でも自分の書斎で、座椅子にもたれて目を閉じていると、もう三十年にも前になる蚊帳の中で広大な天地を感じていた、あのときの気分になってくるのです。また、どんな小さな書斎にいようと、無辺に人を受けいれることのできる心境になるのです。
 瞑想にはいろいろな瞑想があり、また方法もさまざまですが、ぼくの場合は、月山で、祈祷簿の蚊帳の中に籠って広大な天地を感じ、いつしか広大な山にいるような心境になっていたこと、そして今でも書斎で目を閉じているとその山にいるような気分になること、それがぼくにとっての瞑想なんですね。
(編集部インタビュー)
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