100 鳥海・月山 鳥海山 森敦
出典:一枚の繪 通巻第三号 昭和56年6月1日
 鳥海山は秋田県と山形県のちょうど境に位置し、遙かに月山と対峙する東北の名山です。標高二二三〇メートル、富士山に似たその見事な山容を例えて出羽富士ともいいます。
 高さでは富士山に及ぶべくもありませんが、富士山の登山口はすでに海抜が高い、いわば山の上に山がある形です。
 ところが、鳥海山はその裾を日本海から曳いて立ち上がっているから、非常に高く感じられるのです。
 秋田の人は象潟の蚶満寺からながめた鳥海山が一番いいと言いますし、山形の人は、いや庄内平野からの方が壮大だと言います……。
 ともあれ、平らかなひょうびょうたる庄内平野の果てから立ち上がり、そのなだらかな山すそを、すっと長く引いたまま日本海へと入っていく鳥海山の姿は、なかなか雄大なものです。
 僕は、若い頃、吹浦、酒田、鶴岡、を転々として庄内平野で、足かけ十年くらしました。鳥海山を、近くに、遠くにながめながめ毎日くらしたわけです。今も、この山と、庄内平野の持つ風土、人情にひかれて度々足を運びます。
 行く度に、今度は鳥海山がはっきり見られるか、今度こそは、と、思って行くのですが、この日本海から生まれた激しい気流に対して、屹立する霊峰は、常に激しい気象の変化の中にあって、風をはらみ、雲を従え、海霧をまとい、なかなかその雄姿を見せてくれません。
 ついこの間、行った時は春というのに、雪が降っていました。音もなく落ちてくる雪の中で、そのある方向すらわかりません。またかと思う僕に土地の人がなぐさめ顔で云うのです。
「森さん、きのうだったら鳥海山がはっきり見えたのに。きのうは、めずらしいくらいはれていましたよ。きのうだったらよかったのに……」
 シンシンと降りしきる雪の中に、僕は鳥海山のあると思える方へとむかって、ぼんやりと立ちつくすばかりでした。(談/もりあつし・小説家)
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