110 この人に聞く 森敦氏 現在はいつでも絶体絶命
出典:ディベロップ 5月号 昭和57年5月1日
森敦(もり あつし)
 明治45年生まれ。旧制一高中退横光利一氏に師事するが、作品は発表せず、各地を放浪。戦後、同人誌「ポリタイア」に短編を発表。昭和49年「月山」で第70回芥川賞を受賞。他に「鳥海山」などの作品がある。
 現在、執筆活動とともに、講演,評論等に活躍中。
 今月は,作家として執筆活動や講演に活躍される一方で、芥川賞受賞後も10年働き10年休むというサイクルで様々な仕事に就いておられる森先生にお話をうかがいます。
 
 
●山川草木から学ぶ
──先生はこれまでいろいろなお勤めを経てこられたとのことですが、そのきっかけは。
森 古い話になりますが、学生時代のことから話しましょうか。私は一高に在学中、先生の授業にとても不満を感じましてね。勉強のできない者は無視して、できる者ばかりあてて授業を進めてしまう。“何か質問は”といわれてもこちらは茫然として質問もできない。そしてわかったのは、結局自分で勉強しなくてはだめなのだと思ったということです。
 たまたま在学中に毎日新聞に連載が始まリ、それをきっかけに学校をやめました。かといって文章で立つことは、不思議に考えてはいませんでした。それから奈良の東大寺や、瑜伽山でお世話になりながら、いろいろな経験をしました。カラフトの国境線へ行ったり、カツオ漁船に乗ったり、捕鯨船で南極近くまで行ったりね。こうした経験も、人生の大学と思っていました。
 もちろん勉強はしましたよ。勉強が嫌いで学校をやめたわけではないですから。本も読みました。でも人間というのは、活字からばかり勉強するわけではない。山川草木、海、山、空、雲からさえ、いろいろなことを学んでいる。詩人や作家がそうです。
 ポール・ヴァレリーも“スケッチブックをもって山に向うと山が輝いて見え、まったく別の形を表わしてくる”といっています。しかし、ぼんやり見ていると山は語りかけてくれない。
 私はこの放浪の時期に、自然や人間との関わりから、いろいろなことを学んだ。それは、注意深くものを見てたからじゃないでしょうか。
●会社はひとつの大学である
 10年ぐらいして光学関係の会社に入った時も、ものすごく勉強しました。ですから、その方面については、僕はかなりくわしいですよ。
──初めから光学に興味をお持ちだったのですか。
森 いいえ、僕はやっと会社に入れてもらった。これは、ひとつの大学に入れてもらったのと同じだ、と考えたのです。光学の大学に入ったわけですから、会社では熱心に本を読んだ。実験でもするように熱心に仕事をした。だから最後は、あまり下っぱじゃなかったですよ。それだけやってる人はいないんだから。
 その会社には、10年ほどいましたが、10年遊んで10年働く、こんなサイクルをくり返して、3度目の勤めが、現在いる小さな印刷屋です。でも、もう10年たってしまったので、やめる時期なんですがね。でも、3度の10年間の勤めの間、なんの不満も持ちませんでしたよ。勉強することが多くて、やっきになって本を読んだり、仕事をしてましたからね。経理の仕事をしたこともありますが、貸借対照表から出納のつけ方も、本を買ってきて勉強した。一生懸命やってみると、できないことはない。
 現実にお金の出入りがありますから、それを見ながら出納簿をつける。本だけ読んでもわからないことが、働いているから目の前にある。実験しているのと同じです。ある会社に勤めたら、その会社や仕事は特殊性を持つから、そのことを勉強する。だからといって、その特殊なこと以外に役に立たない男になるとは思いません。それを徹底的にやったならば、よその会社に変わった場合でも、その他の場面でも、充分役に立つものです。たとえば作家は文章を書くだけだから、他のことは何もわからない、わからなくていいということはない。数学を学んだなら、その数学的な考え方が、小説の中で役立ってくる。
 今にしてみれば、働いたことも、放浪したことも、全部今日の役に立っているんです。
●今が絶体絶命
──これからの10年はどんなことをなさろうと考えていらっしゃいますか。
森 まったくないですね。未来に対して何をしようとか、そんな傲慢な考えは、僕が考えても通りませんよ。今までだって10年もぶらぶらした後は、お金がなくなる。その時働かせてくれるところがあれば、工場だろうが食堂だろうが、勤めはなんでもいいと思っていました。
 僕は本当に食えなくなったんだから、それを救ってくれる会社をより好みしようとは、これっぽっちも思わなかった。
 今の印刷所も、それこそ小さなところですが、かつて勤めていた会社に比べて不満を感じたりしたことはないですよ。会社はその人の履歴といえるんじゃないでしょうか。
 今日、自分がここにあるということは、過去があってこそです。過去における一点一画がすこしでも違っていたら、今日はないのです。あなたも、あの時こうすればよかった、と過去をふり返ることがあるでしょう。でもそうなら、今のあなたではないのですよ。現在こそは、我々の全体なのです。
 だから、それに不満を持つのはおかしい。もし不満があるのなら、現在というものをしっかりとふみしめて将来にかけるべきです。現在に自信がなくて将来にかけるなんて、そんなのはじたばたした考えというもので、あてにならんと僕は思う。
──先生のお考えは、何か宗教と関係があるのでしょうか。
森 宗教というか、運命論みたいなものはあるかもしれません。東大寺で過したときに、せっかく東大寺にいるのだから華厳経の文句のひとつでも覚え、考えてみようと、そういう生活をしました。
 あきらめというのは宗教とは違う。運命論も宗教とは違う。宗教はもっと強いものです。苦難に立ち向かうということが要素のひとつですね。病気で、明日も知れない絶体絶命の時にどうするか、を導くのが宗教です。禅宗なんかは、特に絶体絶命を想定していますね。
 あなたは感じていないだろうが、今は絶体絶命なんですよ。今のあなたから他のあなたには絶対になれない。現在はいつでも絶体絶命なんです。
 それを慰めてくれるのが、本や人や自然から学ぶということです。どんなものからも、会社の勤めからも学ぶことはできるから、その意味では、すべてが慰めであり、また“遊び”になるともいえます。
●現在を将来へつなげる
──とにかく今現在を大切に生きるということでしょうか。
森 ええ、その他に道はないですよ。現在というのは、過去から作られるものではあるが、過去よりも将来にくっついているものです。時間論を考えてみても、数学的にもそれがいえる。
 ところが、ふつう現在は過去の先端にあると思っている人が多い。過去の領域にある限り、それはもう現在ではなくて過去ですよ。生きながらにして、すでに過去の人になってしまう。ところが将来についていると思えば、それは希望になります。
 だから我々は、過去に感謝するにしろ後悔するにしろ、現在を将来へと結びつけるようにしなくてはならない。それはひとつの努力であり、心構えであり、覚悟なのです。
 僕だって過去の人になることはありますよ。だからこれではいかんと、気をとり直すわけです。
 ちょっとわかりにくい話ですが、僕は年をとっており、人生経験も少しは豊富だから、こういう話も一応うのみにしておいてほしいのです。あるときに、そういうこともあるなあ、とわかることがあるものなのです。
 学んだことも、すぐ全部わかるわけではない。後からあの時のことは、こういうことかと気がつく場合が多い。そのことの方が大きいのです。
──先生も、あとになって気づかれたことがありますか。
森 何度もある。たえずあります。不思議だなあ、そう毎日毎日ありますよ。そういうときはうれしいですよ。
──先生は出会いをどのように感じていらっしゃいますか。
森 人生はほとんど出会いでできています。学生にしても、学校は入学するまでは大変だが、入ってしまえば結構遊べる。でもその遊びが彼らの役に立っているのです。出会いの場として、大切な場所といえますね。
 勤めている人にしても、職場で他の人々との関わりで働いていることの意義にめざめれば、それが全部出会いであるし、得ることも大きいはずです。
 それは、そう思い込もうとすればできるのです。僕にしても、いままでの働いてきたこと、遊んできたこと、とても楽しくて得ることが多かったなあ。
──現在を不満とすることなく、仕事も放浪もふくめて、すべてから学び、すべてを“楽しかったなあ”とおっしゃる森先生、どうもありがとうございました。
 
 
文責 本紙編集部 市ヶ谷 森氏宅にて
↑ページトップ
森敦インタビュー・談話一覧へ戻る
「森敦資料館」に掲載の記事・写真の無断転載を禁じます。