115 ねむの木とわたし
    ひたすらな神たち
出典:読売新聞 昭和57年10月21日
 ねむの木学園には心身に障害を持つ子どもたちがいるわけですね。それなのに、あすこへ行くと、救われたような感じがするんです。「平安」があるんです。心が休まってくるんです。それはどうしてかというと、子どもたちがひたすらに生きているからですね。
 学園の子どもたちは、十全なる才能、十全なる体を持っているとはいえない。けれども、残った才能を徹底的に集中させ、徹底的に伸ばし、人並みになれなくても、人並み以上にすぐれたものになれる。まり子さんはそう信じているんです。もちろん無理に人並みにしようと思っているのでもないし、無いものを引っ張り出そうともしていませんよ。知的水準のレベルを平均的にもつということはできなくても、そのレベル以上のものをもたせることはできる。子どもたちの才能を花開かせる。それがまり子さんの教育なんです。
 学園をたずねた時、こういうことがありました。茶わんにちょっとひびがはいっていた。それをまり子さんが見つけたんです。すぐ使うのをやめさせた。ひびがはいっていても飲むことはできる。しかし本当に子どものことを思った時、ひびがはいっていてはいけないんです。それがねむの木の精神です。
 絵を描くフェルトペンにしても、その配慮はすごいですね。外国に行っても、あらゆるペンを買ってきてためしてみる。子どもたちの作品が、色が変わったら大変だという心配と配慮なんですね。これなら一生変わらんだろう、変わらんだろうと捜し回る。すべてまり子さんの子どもへの愛情ですね。
 その愛情に対して、子どもたちは絵や詩で、メッセージをまり子さんに書いているわけです。
 学園には、まり子さんと子どもたちという神様がいるんです。
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