117 “貯金通帳がわたしの家計簿です”
           ─森 敦さんに聞く─
出典:組合金融推進情報 No.428 昭和57年12月1日
 昨年八月、山形県朝日村の月山の裾野、注連寺境内に『月山 すべての吹きの 寄するところ これ月山なり』の碑が建った。これは小説「月山」で第七十回芥川賞を受賞した森敦さんの筆になる文学碑である。
 
 ──「ふるさと」といえる土地が幾つかあるとか…。
 森 そうなんです。本籍は熊本・天草ですが、生まれは長崎。奈良、樺太、秋田、山形、新潟など多くの土地を歩き、各地の風土・人情に接して、「心のふるさと」が幾つもできてしまいました。
 南の国で生まれたのに、なぜか“北”への志向から日本海側を北上したんです。
 ──「月山」はしばらくぶりの作品だそうですが…。
 森 旧制一高にいた十九歳のときに書いた「酩酊船」が毎日新聞に連載されました。それから四十五年ぶりの作です。当時、「酩酊船」を読んでくれた東大寺のお坊さんが“遊びにこい”というので奈良へ行き、居心地がよいので居坐ってしまい、一高は自然休学、自然退学ということになってしまいました。
 ── 注連寺に住まわれたいきさつは……
 森 鶴岡市の龍覚寺の住職から、月山の麓の注連寺に行ってみたら、といわれたので、昭和二十六年でしたかあのお寺へ行ったんです。地辷りで傾いた寺の庫裡の二階に住んでいました。夏も過ぎたので帰ろうとしたら堂守りのじいさんが、月山の紅葉を見ていけ、という。紅葉を見たら、雪を見なけりゃ、ということで、すっぽりと雪に埋まって一冬過ごしたわけです。石の地蔵さんのように.ただ黙って何もせずに過ごしていたら、村の人々が先方から近かよってきました。「月山」に書いたままの生活がひらかれたわけです。あそこでわたしが感じたこと、それは“月の山、天の夢”というものであったのでしょう。
 ──お金について……。
 森 たとい僅かな額であっても、入ったお金は総て直ぐ貯金をします。昔からです。それが二口百円だったら一口ずつ記帳してもらい、入金先を通帳に書きこんでおく。出銭も同じです。亡妻の習慣からそうなったんですが、これがわたしの家計簿です。便利なものですよ。
↑ページトップ
森敦インタビュー・談話一覧へ戻る
「森敦資料館」に掲載の記事・写真の無断転載を禁じます。