136 私と中国
   自分の考えを持たない日本人
   森 敦(作家)
出典:日中友好新聞 昭和60年10月5日
撮影・北島紀康             東京・新宿の自宅で
 幼少の時、父親につれられて中国の北京、上海、青島などを訪れる。中国への愛着は人一倍強く、長崎県で生まれたこともその要因のひとつ。
 「当時、中国人華僑のことを“あっちゃさん”と敬う言葉でいっていたんです。父はそれこそ当時では珍らしくあちこちと旅行した自由人で、僕も小さい頃から、その影響を受け、幼稚園には行かず、漢文の素読をやらされていました。だから、小学校に入学するときには、孔子などの論語は読めたし、『十八史略』などもすらすらと読めたんです。現在中国は社会主義体制ですが、十億近い人を統制するためにはこの方法しかなかったんだと思うんですね。体制がどうであれ、僕の中国への愛し方は並ではないですね」
 「だからといって、中国を年中訪問しているかといえばそうではないですね。僕は食べものの好き嫌いがはげしいので、考えられないような顔の魚などが出てきたら、どうしようかと…戦後は一回も中国を訪れていない」
 「一九六六年からはじまった文化大革命は大変なさわぎだった。日本では大のマスコミや日本の知性を代表する学者までも礼賛ばかりだった。ところが、現在どうですか。自分たちのやってきたことを、何一つ反省しようとしないじゃないですか。日本人は自分の意見をきちんともっていないんですね。今言っていることが、何年か先になると、まったく逆のことを言ったりして」
 一九七五年に作品「月山」で第七十回芥川賞受賞、熟年期に入っての受賞だった。現在も雑誌に月三本の旺盛な執筆活動をおこない、文壇の重鎮として若い作家を育てるにも定評がある。
 一九一二年、長崎県生まれ、南朝鮮京城育ち。
↑ページトップ
森敦インタビュー・談話一覧へ戻る
「森敦資料館」に掲載の記事・写真の無断転載を禁じます。