138 黙ってはいられない
   こりゃ危ないというときにはブレーキを
                  作家 森 敦さん
出典:赤旗 昭和60年11月29日(金)
 十一年前、中曽根さんと『サンデー毎日』の対談で話したことがあるんです。旧制高校から東大へ進んだ中曽根さんが、材木屋をやってきたお父さんを同級生に会わせるのが恥ずかしく思っていたころのことを話した。材木屋だからしるし半てんを着てるわけですが、向こうからそんなお父さんがくると、会わないように道を避けた、などとね。ちょっと意外なほど率直な感じで、僕は好感を持ったんですよ。
 いまの中曽根さんは違うでしょう。いまは武装してるでしょう。そして、本音と建前を使い分ける。総理という立場に立ったら、そういうもののいい方になるのはわからないわけじゃないが……。
勇み足がある
 中曽根さんには、ちょっと勇み足がある、と思うんですねえ。どこから勇み足が出てくるか、というとアメリカとのからみでなんです。アメリカの方も、彼なら自分の方のいうとおりにやりそうだから助けてやれ、というところがあります。
 もともと日本では、片方のアメリカ側からの情報が多くて、判断もややアメリカ的にならざるをえない。「片口聞いて、片問答」という言葉がありますが、ほんとは、これじゃあ、いけないんです。
 靖国神社のことがいろいろ問題になっていますね。
 日本はね、もともと神仏混交で、どこでも寺と神社があった。融合しておったわけで、それは最澄や空海の影響によるものです。ところが、江戸時代後期に国学が発達してきて、本居宣長の弟子の平田篤胤などが神道的なものを強く打ち出す。それが権力と結びつき、明治維新後の廃仏棄釈につながる。
 僕の小説『月山』の舞台である月山や羽黒山にも、かつては真言の寺がいくつもあったが、廃仏棄釈でつぶされ、神社はあっても、お寺はないんですよ。
 こうした廃仏棄釈によって、仏教を壊滅させ、日本の国家理念をつくろうと考えた人たちが靖国神社を建てたんです。朝鮮にも、満州にも神社をつくり、朝鮮の人、中国の人にまで礼拝を強制した。だから、中国の人が中曽根首相の靖国神社参拝に不快感を持つのは当然なのです。
だんだん傾斜
 日本は少し自由過ぎる、という声が一部にあります。自由過ぎてどうして悪いか、ともいえるわけだけれど……。“自由過ぎる”というのは非常にばく然とした解釈で、どこから“過ぎたる”部分になるのか垣根がない。自由過ぎる、の「過ぎる」を切るのは、実に至難のわざであって、自由そのものが切られちゃう。切られないまでも、切られるおそれがある。
 昭和の初期、プロレタリア文学が徹底的に弾圧されたあと、新感覚派をふくめたモダニズム文学は、いつの間にか神主さんの方になっていき、作家がみそぎをしたり、だんだん傾斜していったんです。傾斜せんけりゃ、食っていけませんからねえ。あのころ、監獄にぶち込まれていなかった人が、いかに民主主義をいっても信用できぬ、とみないってますよ。
 ただ、僕は日本人に期待しているんです。案外ちゃっかりしてて、こりゃ危ない、というときにはブレーキをかける。ことに戦争前から戦争中の体験は、ものすごい教訓になった。だから、ふたたび暗い時代がきやせんかと心配し、そういうものは可能性のうちにつみとれ、とみないっておるんじゃないですか。若いときからデカダンで、放浪を続けてきた僕だって、そう思っておるんです。
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