144 このひと
   抱腹絶倒小説書きたい
             作家 森 敦さん
出典:サンケイ新聞 夕刊 昭和62年7月23日
 「高橋英夫さんには“万物流転小説”、真継伸彦さんには“大乗仏教小説”(いずれも読売新聞)と、こちらが恥ずかしくなるほど褒められて…。よく読んでもらえて、とてもありがたいですね」
 七十五歳の森さんが、幼児のように喜ぶ。
 『月山』で四十九年、芥川賞を受賞して十年ぶりに本格的な長編『われ逝くもののごとく』(講談社)を手がけた。雑誌「群像」に五十九年三月号から三年連載、さらに加筆したから原稿用紙千六百枚にも及ぶ。タイトルは『論語』からとった。
 舞台は山形県の半分を占める庄内平野全域に広がる。じさま、ばさま、一人息子、その妻、正体不明のインテリ西目、浮浪者…とさまざまな人物が登場して、小社会(舞台)とドラマをつくっては、時間とともに消え去っていく、輪廻(りんね)小説である。
 「放狼時代、芭蕉の跡をたどっているうちに庄内平野に行きついたんです。芭蕉がなかったらこの小説もないでしょう。『華厳経』に一即一切、一切即一というのがあり、『月山』は一即一切を書いたが、今度は一切即一を書きたかった。一切ならぼくの経験のほとんどが入るわけですね。それが一に帰することができたかどうか…」
 ? ちょっとむずかしい。
 「人間、心に蔵したままいわないでおけば、腹ふくるる業ですが、書き終わって、君たちはぼくのことをここまで知っているというけれど、こういうことは知らなんだろう、と内心ホクホクしているところがあるんです。一方で、ホクホクしていていいのだろうか、という気もございますが」もう一冊、ほぼ同時に講演集『十二夜─月山注連寺にて』(実業之日本社)が出た。
 約四十年前の放浪先の注連寺では、八年はど前から毎年八月最終の土、日曜日に「月山祭」が持たれている。そこでの講演を“十二夜話”にまとめたのがこの本。生い立ちから両親、弟、青春時代、放浪時代、仏教哲学をあけすけに語っており、半生がこれほどまとまった形で発表されたのは初めてである。
 「最初喜ばれたもんだから次々と…。『われ逝く─』と表裏をなしたものですから、二つあわせて読んでいただくとありがたい」
 太宰治、檀一雄氏とは心を許し合う親友だった。「彼らがおらんのは寂しいですよ」。今回の作品も、二人にはぜひ見せたかっただろうに。
 「今、スペインのウナモーノら大家の作品を読んでいますが、底抜けにバカバカしく、かつ明るいんですね。ぼくも、日本では考えられないほど、タルの底が抜けたような抱腹絶倒小説を書きたい」
(影山勲)
↑ページトップ
森敦インタビュー・談話一覧へ戻る
「森敦資料館」に掲載の記事・写真の無断転載を禁じます。