020 芥川賞のペン、出勤車内でサラサラ
出典:夕刊フジ 昭和49年1月24日(木)
 森敦さん、61歳。ことしの第70回芥川賞を受賞した評判の“新人”である。このトシにして文壇の登竜門をくぐったことや、亡き横光利一さんらにかわいがられた経歴も珍しいが、もっと変わったことに、勤め人でもある森さん、早朝まだすいている通勤電車の中で原稿を書くクセがある。関東地方が大雪に見舞われた翌朝(二十二日)も、この芥川賞作家は冷えこむ車内で、せっせと受賞第何作目かのペンを走らせていた。
 
◆動く“書斎” 東京の新宿駅。午前6時すぎというと、まだ通勤ラッシュの前で、人影はまばらだ。そのころ、どこからともなく、グレーのコートに白い毛糸のマフラー、黒い大きなショルダーバッグを肩に下げた男が現れ、山手線電車に乗りこむと、バッグの中からザラ紙の束とボールペンを取り出し、何やらペンを走らせる。これが、芥川賞作家の森さんである。
 「そう、かれこれ十年ぐらいになりますか。いまの勤め先(東京・飯田橋の近代印刷)に行くようになってからです。ここ(車内)はタバコも喫えないし、集中して仕事ができる。このところ、節電で、車内の暖房がきかずグンと冷えるようになりましたがネ」
 友人が多すぎて、日中から夜は多忙をきわめるので、この早朝の“車内執筆”を始めたとか。ふつう山手線電車を二周、午前七時半までに勤め先へ出勤する。もちろん、筆が進むときも、そうでないときもあるが、早朝の電車に乗ると、まるで“書斎”に入ったように落ち着くのだそうである。
 
◆元祖ヒッピー? 自由を愛し、生きたいように生きるのが、ヒッピーなら、さしずめ、森さんは、元祖ヒッピーかもしれない。旧制一高在学中から、各地を転々、中退してからは、樺太の奥地へ渡ったり、カツオ船に乗り組んだり。じつに、三十有余年─
 「別に目的も意味もないんですよ。行きたいから行く。住みたいから住む。意味をくっつけることに意味はないですよ」
 調布に三畳一間のアパートを借りている。が、いつも帰るワケではない。どこにでも泊まってしまう。いわば“住所不定”。編集者泣かせの作家になる可能性大? だが─
 「緊急時というのは、たとえ連絡がとれても、たいていは間に合わない。いわばアウトの時が多いということは、いまのままでいいということですよ」
 
◆老人ホームからの手紙 森さんは、受賞するまで自分のトシを忘れていたという。ところが、「月山」(季刊芸術)で芥川賞をとって以来、老人ホームからの手紙が、連日舞い込んでくる。
 「むかし、小説を書いていたんだが、あきらめて短歌や俳句で余生を送っているという人が老人ホームには多いんですね。“あなたの受賞で励みになった。もう一度書いてみます”なんてのがくる」
 ついでながら、森さんは「プレオー8の夜明け」(昭和45年上期)で49歳にして芥川賞を受賞した古山高麗雄さんを抜いて、芥川賞史上、最高齢の受賞者。自分では“浦島太郎”──口の悪い文学仲間は“文壇の横井庄一さん”とか“森翁”とか、呼ばれている。
 
◆61歳の悩み 亡き菊池寛、横光利一氏にかわいがられ、太宰治さんが文学仲間だった森さん。実は十九歳のとき、東京日日新聞(いまの毎日新聞)に、連載小説を発表している。「酩酊船」。九十枚くらいの作品で、京城で過ごした少年時代を描いている。
 「いやあ、受賞したとたんに、あの作品を掲載したいという話が出て弱っているんですよ。こどものときに書いたものを、いまさらだされても、恥ずかしくてね」
 ご多聞にもれず、原稿の依頼が殺到して「文学界」「文芸」「群像」と、つぎつぎに“受賞第一作”を手わたし、いずれも三月号に載る。
 「もはや、逃れられない運命ですナ。ま、長い人生経験、材料はたくさんあるし、しばらくは、やけのやんぱちで書きますよ」
 森さん、あしたの朝もバッグにザラ紙を詰めこんで、電車に乗る。
↑ページトップ
森敦関連記事一覧へ戻る
「森敦資料館」に掲載の記事・写真の無断転載を禁じます。