027 編集手帳
出典:読売新聞 昭和49年3月3日(日)
鳥海山が噴火して黒煙を上げていると聞いたときは、まさかあの山が?と思い、同じような感想をもらす地元民の声をなつかしく聞いた。私情に流れるようだが鳥海山はふるさとの山である◆いまから百五十三年前(一八二一年)の噴火を最後に休息期に入った鳥海の姿は富士に似ている。だから出羽富士といわれるのだが、幼年、少年時代を通じ、朝な夕な見あきることのない鳥海は、噴火というようなイメージからほど遠い静かで優雅なたたずまいであった◆だが、鳥海も噴火と無縁の死火山ではなく、爆発のエネルギーを秘めた休火山だったのである。百五十三年間の休息を<長い>とみるか<ほんのひと眠り>というべきなのか。沈黙が亡父の父のそのまた父のころからと考えるなら、長いようでもあるし、ついさいきんのようにも思われるし……◆そういえば、第七十回の芥川賞を受賞した森敦氏の「月山」につぎのような一節がある<月山が死の象徴であるのに対して、鳥海山は生の象徴であり、それらを結ぶ線上にこそほんとうの道があって、あやまたず生を見まもればおのずと死に至ることができる>◆いくら吹雪が吹き荒れようと、鳥海山の見せるちょっとした姿せえ忘れねば、月山さ行く道もしぜんとわかるというもんだと森氏がいうその鳥海山は、さながらこの世のあかしのように、死者の行く山である月山と対峙(たいじ)している。音楽にたとえるならこのへんが「月山」の主旋律か◆それにしても、庄内平野というミクロコスモス(小宇宙)を画する二山つまり鳥海、月山の姿を的確にとらえ、そのなかに氏独自の境地ともいうべき死生観をもりこんだ筆力にはなみなみならぬものがある。なにも、故郷の山にこもった森氏へのひいき目でいうのではない◆再開火山の活動はより長く、より激しいそうだが、生を象徴する鳥海が大爆発で吹き飛び、あのなだらかで美しい山容ために改まるというような、ひどいことにならななければいいと思う。
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