028 風塵
出典:日本読書新聞 昭和49年3月4日(月)
○…ねえねえ、お隣りの奥さま、ウチの亭主ったら、若くもないのにどういうつもりなのかしら。本当に売れない文士ってどうしょうもないわね。昨日も久し振りに原稿書きしていたと思ってたら、それも第一行書いただけなんですのよ。それも何て書いてたとお思いになって? 「文学は老年の事業ではない、それは青年のものである」ですって。いったい自分で幾つだと思ってるのかしら。
○…あのヒトったら多分森敦サンにシット狂ってんのよ。森サンが芥川賞取った時といったら、もう大変、「あんなものをみとめるようでは日本文学の先は闇だ。世界の文学はどんどん前衛的な作品を生み出している」とか言っちゃって、あたしに八ツ当りするのよ。そりゃあ、あたしは奥さまも知っての通り、文芸とか名の付くものといったらお昼のメロドラマか見た事のない無教養な女よ、前衛文学ってどんなものかちっとも知らないわ。それでも、あたしって見かけによらず良妻でしょ、亭主に一寸でもアドヴァイスできればと思って森さんの「鴎」って小説を読んだの。「文藝」って雑誌の三月号に載っているんだけど、あたしとってもカンドーしちゃったわ。だってあたしがいつも観ているメロドラマやホームドラマソックリなんですもの。仲のいい老夫婦が海岸で貝をひろったり流木をひろったり、不幸な友達と別れたり、そりゃあもう小道具の使い方なんてニクイわあ。
○…だから、あたし、やっぱし文学は、中村光夫サンがずっと前に言ったように、老人が書くものだと思うの。だってあんな素敵なメロドラマ森サンみたいに人生を知り尽した人じゃなきゃ書けないもの。だけどあたし、今度中村サンに会ったら言ってあげるわ、メロドラマを書けるのは老人もそうだけど、あたしみたいな中年女でも書けるのよって。だって毎日朝から晩までメロドラマを見ているんですもの。あたしも、今度は亭主に家事をさせて小説書こうっと。
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