029 春秋
出典:日本経済新聞 昭和49年3月8日(金)
 秋田・山形県境にある鳥海山が百五十三年ぶりに一日、噴火した。五日には、火口から溶岩らしいものが秋田県象潟町方面に流れ出ているのが発見された。長い眠りから覚めた鳥海山は、いよいよ生への躍動を姶めたかのようだ。
▼象潟という地名は、昔、鳥海山が押し出した泥流が陥没して海岸線がいりくんだ形となったところからきている。芭蕉の句に「象潟や雨に西施がねぶの花」とある景勝の地だ、西施は昔の中国の越の国第一の美女。やがて越が戦いに敗れて敵地に送られる。色っぽいが、なんとなくうら悲しい──中山義秀の言葉を借りると「うらむがごとき象潟を凄艶(せいえん)にうたった」句である。
▼山形県庄内地方からは、晴れていると、鳥海山から出羽三山(月山、羽黒山、湯殿山)に続く山なみがよくみえる。このほど芥川賞を受賞した森敦の小説「月山」に、月山と鳥海山を比べている個所がある。それによると、月山は「死の象徴」であり、鳥海山は「生の象徴」である。その鳥海山の「生」が、長い沈黙を破ったわけだ。なるほど「生命」とは、気まぐれな半面、不屈で強靭(じん)なものである。今度の活動を庄内地方の人たちは「おぼけたちゃ」(驚いたなあ)と言っている。
▼百五十三年ぶりの噴火を「狂乱物価に対する天の怒りだ」とか「日本列島大異変の兆し」などとひねって言う人もいる。反対に「エネルギー危機の中で、日本列島の底に地熱エネルギーが蓄えられていることを立証してみせたもの」と言う人もいる。文学的興趣を離れても解釈はさまざまである。
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