038 小説「月山」をフォークに
出典:大阪新聞 昭和50年10月3日(金)
 六十歳をこえての芥川賞受賞とさわがれた森敦さんの作品「月山」が、神戸に住む二十八歳の青年のかき鳴らすギターにのって、フォークソングになった。小説「月山」は“どんなストーリー?”と聞かれても答えようのない幻想的な純文学作品。それを原文のまま読みくだして、節をつけたのだから、モダン浄瑠璃のような感じ。ところが、森敦さん自身がたいへん気に入ってテープを持ち歩くうちに、ヘンな人気が出はじめた。大学の文学講座で取り上げられたり、コンサートが開かれたり。ついにはレコード会社が年内にレコード化して発売する計画だが、にわかなブームに小説のほうまで売れ行きがよくななるなど、関係者を驚かせている。
 
 ちょっと声を出して読んでみよう。
〈ながく庄内平野を転々としながらも、わたしはその裏ともいうべき肘折(ひじおり)の渓谷にわけ入るまで、月山(がっさん)がなぜ月(つき)の山と呼ばれるかを知りませんでした。そのときは、折からの豪雪で、危く行き倒れになるところを助けられ、からくも目ざす渓谷に辿りついたのですが、彼方に白く輝くまどかな山があり、この世ならぬ月の出を目(ま)のあたりにしたようで、かえってこれがあの月山だとは気さえつかずにいたのです。〉
 「月山」の冒頭の一節。歌になるような文句ではなない。それをフォークソングにするなんて…。
 ところが、あえてフォークソングにしたのは神戸市北区鵯越町に住む新井満さん(二八)。電通神戸支局制作課に勤める青年だ。コマーシャルの企画立案やプロデュースが本業で、音楽歴といえば、学生時代(上智大)にグリークラブのメンバーだったことぐらい。それも一年半でやめている。
 新井さんが「月山」を読んだのは昨年の暮れ。「月山」が第七十回(四十八年度下半期)の芥川賞の栄誉に輝いてほぼ一年たっていた。一読して新井青年、「ああ」と声を出してしまった。「この日本に、まだこんな幻想の世界が─」。そのまま、東京・調布市の森さん宅を訪ねた。大みそかだった。若者が好きで、飾り気のない森さんは、新井さんを家に上げて、話しこんだ。そんなことがきっかけで、新井さんはたびたび森家を訪れるようになった。何度目かの訪問で、手みやげに困って、ギターを持っていった。徹夜で飲むうちに、即興で、「月山」に節をつけて、よんでみた。「いい歌だね」と森さん。
 「そのまま、どんどん歌いすすみましてね。酔った勢いですよ」何回も繰り返すうちに、テープにとられてしまった。
 森敦さんは、昭和の初め、横光利一さんらとともに活躍し、天才少年とうたわれた人。その後、四十年も沈黙、「月山」でとつぜん文壇に再登場した。気さくな人柄で、ラジオの身上相談やテレビのコマーシャルにも気軽に出演する。
 「こんな歌ができたんだよ」とテープを知り合いの放送関係者に聞かせたりした。
 「なにやら、御詠歌のような」「うむ、ゴスペルソング(宗教歌)ですな」「文学を歌にするなんて“平家物語”以来ですな」さまざまだが、いちど聞くと、忘れられない、ある懐かしさと荘重なひびきを持つ歌だというのが、大方の感想。
 「ちょっと拝借」といわれてラジオ番組にお目見えしたこともある。そのうち、日大文学部でこれを教材に「文章と音楽」という講義が行われたり、調布市立図書館がテープでコンサートを開いたりした。そんなことが刺激となったのか、東京や大阪の本屋さんで地味な作品「月山」の売れ行きが伸びてきたという。
 つい最近になって、キングレコードから「フォークソング・月山」を年内に発売したい、という申し入れ。
 二十八歳の若ものの才能を掘りだした六十三歳の作家。森さんは気持ちよさそうにいう。
 「ふらっとやってきた青年に、たいへんな才能があったのです。新井君は私の作品のテーマをよくとらえているし、みんなに聞いてもらえると私もうれしいですよ。あちこちに、売りこんでいます」
 新井さんの方は、仕事柄、商品の売り込みは得意なのだが、「いやあ、自分の作品だけは、どう売り込めばいいのか、わからない」と頭をかいている。ヒットしても歌手になる気はないそうだ。
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