075 野間文芸賞
    17日、森氏に贈呈
    庄内舞台『われ逝くもののごとく』
出典:荘内日報 昭和62年12月5日(土)
 年間の優れた文芸作品に贈られる第四十回「野間文芸賞」に、森敦氏の『われ逝くもののごとく』が決まり、十七日、東京で贈呈式が行われる。森氏の作品は、庄内を題材にした『月山』や『鳥海山』などで広く知られているが『われ逝くもののごとく』も庄内が“舞台”。戦争末期から戦後の混とん期の小さい漁港・加茂の日雇い一家と、その家の少女サキを中心に展開する“マンダラ模様”を描いた大作。同賞の贈呈式には、庄内からも森氏と親交のあった人々も招かれる。
 「野間文芸賞」は、講談社の初代社長野間清治氏の遺志によって、昭和十六年に制定。(財)野間奉公会から贈られる。戦中戦後の一時期、ブランクはあったが、毎年十二月、前年十月一日から当年九月末日までに発表された優れた文芸作品(現在は主に単行本になった作品)に贈られている。
 正賞は賞牌で、初代社長の横顔が刻まれた銀製の文鎮。副賞は二百万円。今年度は第四十回を数え、同賞には森敦氏が昭和五十九年からことし二月まで、雑誌『群像』に発表、ことし五月単行本として発刊された『われ逝くもののごとく』(講談杜刊、A5判、六百八十八ページ、上製本)=写真=。野間文芸新人賞には新井満氏の『ヴェクサシオン』((株)文芸春秋刊)が選ばれた。
 十七日、東京丸ノ内の東京会館で、講談社社長で野間奉公会理事長の野間佐和子氏から贈呈される。
 『われ逝くもののごとく』の表題は、中国の古典『論語』の中にある「逝くものはかくのごときか、昼夜を舎(お)かず」からとったという。その解釈には、人間の生命も歴史も川の流れのように過ぎ去り移っていく“悲嘆”の説と宇宙は川の流れのように無限に持続・発展するとする“希望”の説の二つがあるが、森氏はそれらの説のほかにも「無数」にあるとしている。同受賞作は、その命題をかかえて、戦中戦後の庄内の小漁港・加茂の日雇い一家と、その家の少女サキを中心に、多数の登場人物が“マンダラ(人間)模様”を描いていく。しかも、それは「メビウスの環」のように時間を離れたり、外部から内部へ入ったりする、森氏一流の“複眼的”に人間の生き死に、喜びや悲しみを、茶飲み話のように語っていく。しかも会話は庄内弁。
 登場人物には名のない人が多い。じさま、ばさま、だだ、ががをはじめ、棺桶屋(がんや)、あねま(女郎)などの庄内方言が随所に出てくる。
 同式典に、野間佐和子奉公会理事長からの招待状が届いたのは、昭和二十年代に、森氏が朝日村の注連寺に来て以来、親交を重ねている、伊藤明栄朝日村議や、『月山』が映画化されたときのロケ中、スタッフの“一員”として行動をともにした、朝日村役場の黒井卓也林政係長。また、受賞作の取材に直接かかわり資料などを提供した鶴岡市加茂、秋野庸太郎氏(グランドエル・サン総務部長)らで、ともに式典に参列すると、十七日を指折り数えている。
↑ページトップ
森敦関連記事一覧へ戻る
「森敦資料館」に掲載の記事・写真の無断転載を禁じます。