076 思考のダイナミズム
    森敦先生の野間文芸賞受賞によせて
    高瀬 千図
出典:西日本新聞夕刊 昭和62年12月8日(火)
 森敦先生が野間文芸賞を受賞きれた。何にも増して嬉しい。ここ数年の先生の健筆ぶりには目を見張るものがある。
 しかし一方で、書くことの、いかなる仕事より重労働であることを知る私はただただ畏れ入りつつも脱稿後の先生の疲労の激しさがやはり気になった。そう言いつつ、やはり先生にはまだまだ書いていただきたいと思うのだから、もの書きというのは残酷なものである。
 先生のことを書いてほしいと依頼を受けたとき、私は二つ返事でお引き受けした。先生と初めてお会いしてからすでに十八年余りにもなる。市谷のお宅にも再三おじゃましている。毎年八月には小説「月山」の舞台となった山形の注連寺で行なわれる月山祭にもお供をしてきた。先生のことはよく分かっているつもりだった。まがりなりにも数年にわたって小説作法の指導を仰いできた身でもある。敬愛してやまない方だ。それがいざ書こうとすると、そこにそうしてやさしい目で見ていてくださるというのにその姿は捉えようがないまるで空を掴むようなのだ。語ろうとすると言葉は逃げていって私を笑う。
 私の中にある先生というのは実は人である前に言葉そのものなのだ、と気付く。文学を志し、指導を仰ぎつつ、これまで人生の要ごとに私の中に楔のように打ち込まれてきたのは先生の言葉だった。言葉とはことだま、魂のことである。
 書くことは誰であれ肉体も精神もねじれるほどに苦しい。書くとは肉体も精神も日常の膜を剥ぎ落とし、自らを成す細胞のひとつひとつを検証し、再び縫い合せていく作業なのだ。苦しむことなしに文学は生まれない。その苦しみの深さと重さによって文学は量られると言ってもよい。
 デビューして間もないある夜、先生が電話をくださった。それはたびたびのことで、ちゃんと書いているかどうかの確認と励ましの電話なのである。大抵の人間が書くことの苦痛から逃げだしてしまうのをよく知っておられるからでもある。
 苦しいと言うと、そうでしょう、と笑われる。「でも、書きたい以上は耐えなくてはなりませんね。忍耐あるのみです」と冗談めかして言うと、先生は「君ね、情熱というのはね、その忍耐のことなんですよ」と言われた。厳しい口調だった。
 以前先生にクーダ・パンタカのことをお聞きしたことがある。釈迦の弟子でありながら余りに愚かで経のひとつも覚えられず、ひたすら日常の単純な作業に明け暮れるしかなかったパンタカがそれ故に、この世に生を受け、生きることの意味をある日突然知って悟りを開き、菩薩になられたというものである。
 漫然と生きれば生きられる空気のようにとらえどころのない日常という営みも、一旦心眼を開けば宇宙絶対の真理にもいたることができるという思考のダイナミズムは正に先生のものであろう。
 今、それこそが森敦という方を最も端的に表わしている気がするのである。先生の『ご健康とご健筆を祈ってやまない。
(作家・長崎県出身)
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