088 「月山」「鳥海山」 作家・森敦さん死去
出典:毎日新聞 平成元年7月30日(日)
 「月山」「鳥海山」などユニークな作風で知られた作家、森敦(もり・あつし)氏が二十九日午後五時五十三分、心不全のため東京都新宿区の東京女子医大病院で死去した。七十七歳。葬儀・告別式の日取りと喪主は未定。自宅は新宿区市谷田町三の二〇。
 家人の話によると森さんは七月初め、原因不明の出血で厚生年金病院に入院したが一週間ほどで退院、自宅で静養していた。二十九日午後、自宅で倒れ、救急車で同病院に運ばれた。
 熊本県天草出身。旧制一高を中退、樺太(現サハリン)などを放浪後、昭和九年、東京日日新聞(現在の毎日新聞)夕刊の推薦新人創作シリーズに、横光利一の推薦で「酩酊船(ゑひどれぶね)」を二十一回にわたって連載、デビュー作になった。その後、放浪生活を続けるなど、四十年近い「文学的空白」が続いた。昭和四十年、同人誌に発表の「吹浦にて」で再デビュー、作家として“認知”されたのは六十代に入ってから。昭和四十九年、「月山」が第七十回芥川賞を受賞。「長い文学修業が作品に現れ、清冽(せいれつ)な作風」が評価されたが、新人登竜門とされる同賞が六十代作家に与えられるのは初めてのことで論議を呼んだ。
 「月山」は、山形県の月山のふもとにある寺に行き、雪の中で一冬を過ごす男の物語。「日本人の山に対する信仰を小説世界に見事に定着させた」と評価された。
 芥川賞受賞当時、森氏は「老い先が短くなったので人生を二度送りたくなったから」と冗談めかして語ったが、同時期やはり山形県を舞台にした「鳥海山」のように、幻妙で幽玄な作風を示した。多作ではなかったが、「輸廻(りんね)」に根ざした、ある種の宗教的な境地をにじませた独特な森文学を開拓した。
 最近は、昭和六十二年、密教のマンダラの世界を描いた長編「われ逝くもののごとく」で野間文芸賞を受賞した。
 死生観を投影させた「浄土」(講談社)が遺作。
 文芸評論家、江藤淳さんの話
 森さんは一高時代に横光利一に可愛がられ、そのころにはすでに天才の名で呼ばれるほどの人物でした。にもかかわらず途中で一高をやめ、ダムの工事現場などで働きながら放浪生活を始めた。作品も書かなくなったんだけど、なぜか文学のことは神様のように分かっているという伝説を作った。これほどの人なんだから何か書いてもらいたくて、私と古山高麗雄さんが一緒にやっていた「季刊芸術」に書いてもらったのが「月山」。するとなんとこれが一発で芥川賞をとってしまった。でも、賞をとったからといって作品が増えたわけじゃない。森さんほど原稿用紙に字を書くのがいやな作家はいなかったんじゃないでしょうか。世にサラリーマンみたいな作家が多い中で、森さんのような人はいないと思う。
↑ページトップ
森敦関連記事一覧へ戻る
「森敦資料館」に掲載の記事・写真の無断転載を禁じます。