102 九州芸術祭と私
    足元を見つめる作品を
    落選しても受賞まで頑張って
出典:西日本新聞 夕刊 平成元年8月23日(水)
 「今年も、どんな作品が集まるか、楽しみですね」と話していた九州芸術祭文学賞の中央選考委員、森敦さんは七月二十九日、急逝した。六月上旬に訪ねたとき、新しい連載小説「君、笑フコト莫カレ」の執筆に追われていたが、森さんは文学論を熱っぽく語り、約束の一時間が三時間にも及んだ。さらに文学を志す九州の人たちに終始、温かいまなざしを向け、九州芸術祭文学賞に熱い期待を寄せていた。       (竹原)
秀作が続く文学賞
 ここ二、三年九州芸術祭文学賞では秀作が続いている。六十二年度は岩森道子さんの「雲迎え」が最優秀賞を受けるとともに、芥川賞と三島賞の候補にあがった。六十二年度は、沖縄にとっても記念すべき作品となる、崎山多美さんの「水上往還」を得た。これらの作品は、単に秀作というばかりではなく、この文学賞ならではのテーマをもっていて、しかも普遍的な問題を照らし当てている。
 「水上往還」を例にとると、ストーリーは極めて単純で、老婆を離島に残して都会に移住した一家の父と娘が、老婆の死後二年ほどのちに、夜陰に紛れてその位牌(はい)を取りにゆく。ただそれだけの話なのだが、人物や舞台となった離島の自然と風土の描写に、沖縄の歴史と民俗とが染み込んでいる。
 選考委員の一人、五木寛之さんは「ここには原沖縄がある」と評したが、僕は血につながるものを感じた。沖縄にとっても、九州芸術祭文学賞にとっても、「水上往還」は大きな成果だと思う。
良い作品ないと辛い
 ところで、このような良い作品があると、選考委員としては選考会の日が待ち遠しくなるものだ。良い作品がないときは、何だか意地悪したみたいな、こちらに良いものを見る目がないような気持ちにさせられて、本当につらい。
 選考会場に委員がそろっても、すぐに選考に入ることはほとんどない。ちょっとした雑談が続く。大抵が文学界の話題とお互いの近況報告みたいな内容だ。その雑談がとぎれると選考会になるわけなのだが、雑談と選考会の間に、一瞬時間が止まったような雰囲気が生まれる。
 このとき選考委員同士で無言の会話がサッと交わされる。つまりお互いの表情を読み合うわけである。「良い作品がありましたね」と読めれば、しめたものである。僕が初めて出席した五十一年度の九州芸術祭文学賞の選考会がそうだった。ほとんど全員一致で村田喜代子さんの「水中の声」に決まったと覚えている。
 村田さんはこのあと十年ほどかかったが、ついに芥川賞をものにした。十年は長いと思われるかもしれないが、僕は村田さんは取るべくして取ったのだと思っている。九州芸術祭文学賞と芥川賞はそんなにかけ離れているものではないのだ。
胸を打つものも
 公募の文学賞の選考委員をしていると、文学に対して一つの誤解があることに気付く。その誤解から生まれた作品は、足が地に着いておらず、一読して文学青年や文学少女と分かる。形は一応小説の体をなしているが、中身のない作品である。
 九州芸術祭文学賞の場合、こうした作品が中央選考会に候補作として登場することがないとは言えないが、稀(まれ)である。むしろ、自分の体験をもとに、長年温めてきたテーマを一生懸命に文字にしたという作品に出合うほうが多い。文章や構成はつたないけれども、読んで胸を打つものがある。
 ただ、このような作品は文学の卵ではあっても、文学ではない。では何が文学かと問われようが、それを論じるのは容易なことではない。人間とは何かを論じるようなものである。にもかかわらず、あえて短い言葉で言うなら、小説を書くには自分というものを探究してみるよりない、ということになりそうだ。
九州には多彩な素材
 「水上往還」を例にとると、崎山さんは自分を見詰めることで、自分が生まれ育った沖縄の歴史と風土を見直し、そこに人間存在の真理をつかんだのだと思う。選考会では、沖縄の民俗や風土について舌足らずの表現があるという指摘があったが、ほとんど全員一致で選ばれたのは、崎山さんが沖縄という特殊性を描きながらも、人間存在について普遍的な真理を突いているからだ。
 毎年、正月の前後になると九州芸術祭の事務局から、分厚い小包が届く。今年はどんな作品が来たかなという楽しみ、あの人は今年も候補に入っているだろうかという期待が交錯する。
 顔や姿は知らないけれども、この文学賞の選考委員をしたおかげで、小説を通して知り合った人は何人かいる。馬芝居や蜘蛛(くも)合戦を書いてくる人、何でもない農家の一日を描いて好感のもてる人……。残念なのは、そういう人たちがえてして一度入賞を逃すと筆を折ってしまうことだ。
 落ちても落ちても書いてほしい。九州には文学の素材がたくさんあるし、第一、せっかく小説を通して文学に取り組んだのだ、最優秀賞を取って、文学界に掲載されるまで頑張ってほしい。一度受賞すれば、俗な言葉になるけれども、一皮剥(む)け、文学というのが身をもって分かるようにもなる。 =おわり=
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