112 第八回 月山祭
   親切な庄内の人たち
出典:産経新聞 昭和63年9月6日(火)

講演する森敦氏。途中雨が
降りカサをさしかけられた
 出羽三山の懐に抱かれた山形県朝日村七五三掛(しめかけ)の古刹・注連寺は、放浪の作家・森敦さんの第七十回(四十八年下期)芥川賞受賞作「月山」の舞台となった地である。昭和二十六年、三十九歳の八月下旬から翌年初夏まで、この寺で過ごした。
 朝日村では、八年前から毎年八月最終の土、日曜日に「月山祭」を開いており、同村や庄内平野の人たちは、森さんの講演を聞いたり、中央の作家との出会いを心待ちにしている。今年の第八回月山祭は二十七、二十八の両日開かれ、東京から森さん、芥川賞を受賞した新井満さんをはじめ、小島信夫、勝目梓、林京子、重兼芳子、高瀬千図、紀和鏡、大河内昭爾さんらが出席した。
 二十七日は午後六時すぎから注連寺境内に特設された野外舞台で黒川能が演じられ、新井満さんのあいさつのあと、森さんが「雲を追って」のタイトルで多少のフィクションを交えながら、放浪の“あのころ”の思い出話などを話した。森さんもかつて心を許した土地だけに、リラックスし、ふだんあまり語らないことを、この日ばかりは語る。そのためか、聴衆も年々ふえており、今回は地元をはじめ、九州、四国、岡山などから三百五十人が集まった。講演のあとは本堂で無礼講パーティー、翌二十八日は森文学の跡をたどる文学散歩などがあった。森さんの講演は、十一日午前八時からNHK教育テレビ「こころの時代」で放送される。

 
 
森敦さん講演「雲を追って」の要旨
 
 私は長い間、三重県の尾鷲尾市にいた。ここは暖かいが、雨が多いので、今度は雪の世界に行きたいと思っていた。親切な人がいて、新潟県の弥彦(やひこ)に紹介してくれた。
 私は九州(長崎市)の産で、九州の人は、なぜか北へ向かう北志向がある。雪は二センチぐらいしか降らないという弥彦に、その年はものすごく降って、雪には満足したものの、もっと北へ行ってみようと、山形県の湯野浜へ、さらに吹浦へ行った。そこは雲が荒々しく、近くに鳥海山があるため、山によって雲が撹拌(かくはん)されるのか、素晴らしい雲の眺めであった。
 山形は、月山によって内陸部と庄内平野に分断されており、私は庄内平野だけのあちこちに滞在した。
 月山や鳥海山の雲を見ていると、少し角度が変わるたびに山の表情が変わる。山に表情が表れると山が生きてくる。
 庄内の人たちは、とても親切で、人なつっこいが、初めからそうなのではない。まず「どこから、何のために来たのか」と必ず聞かれる。それに答えるには秘訣がある。黙っていることだ。悪いこともしないでいると、人畜無害とわかり、向こうから気を許して、理由までつけてくれる。いわく「あんなもんだ」「変わった人だのう」。そして、物事をはっきりいわない“あいまいさ”がこの土地の美徳なのである。
 酒田にいる時、妻は耳の後ろに膿ができる病気になった。こんな時、側にいてやりたいと思ったが、妻の母親に「大の男が、何のために女房についているのか。側にいても病気はよくならない」といわれた。ちょうど蚊の大群に悩まされ、昼も蚊帳をつっていた時でもあり、鶴岡の龍覚寺住職のすすめで注連寺へ行くことになった。妻の母は「二度と行く機会がないから、ぜひ行きなさい。モミジの美しい所なので、それを見たら帰っていらっしゃい」という。
 注連寺は標高四〇〇メートルと少しだが、蚊はいなかった。養老院から連れて来られた元大工の門脇守之助というおじいさんが寺守りをしていた。私は「寺のモリさん」といわれ、おじいさんは「モリさん」と呼ばれていた。寺は天井もなく、床も板張り、屋根は半分だけ銅張りで、あと半分は財力が尽きてしまったらしい。荒廃すると物は大きく見えるものだ。
 この世のものとも思えないほど美しいモミジの季節も終わったので、帰ろうと思った。ところが、おじいさんは「新潟まで雪を見に行った人が、雪を見ないで帰るのはおかしい。月山が白くなったら、次に鷹匠山が白くなる。そして、すぐ後ろの十王峠が白くなったら、いよいよ雪の降る時だ。それまではバスがある」というのだ。
 だが、その年は、十王峠の雪を待つ暇もなく、突如として大雪が降った。私は雪がその窓まで届く庫裡の二階にいた。寒さをしのぐため、祈祷簿で蚊帳を作り、その中で過ごした。電灯一つつけ、自分の体温で温かくなるころには酸欠にもなった。悟りを開いた高僧が何やらうつらうつらしているのも、ひょっとして酸欠なのかもしれない。
 いよいよ帰る時になった。“野辺の送り”といって、各家の前に人が立って見送ってくれ、バス停まで荷物を一つずつ持ってついてきてくれた。「ありがとう。必ずまたここへ来ますよ」というと、見送りの一人が「だれもまた来るといって帰る。だけど一人も来たものはねえもんのう」といった。ところがあれから十年もたって私はここに現れ、毎年現れさせていただいている。が、私を見送ってくれた人は、ほとんどいなくなった。
(影山勲)

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