〔昭和56年8月(69歳)。第一回月山祭 注連寺境内にて〕 

 森敦資料館を立ち上げてから9年が経つ。月平均2回の更新をしてきた。初めは閲覧者がいなくなれば、資料館を閉鎖するつもりだった。そんな気楽な気持ちで始めたが、閲覧する方々が途絶えることはなかった。
 実は、インタビューや談話などの発表誌紙が書庫に眠ったままだった。死蔵させるのは惜しい。そこで森敦資料館を立ち上げて発表の場にしたいと考えたのである。
 森敦の執筆した文章は『森敦全集』(全8巻別巻1、筑摩書房、平成1〜7年刊)に網羅されている。しかし、話し言葉での文章は書物にまとめられていない。この資料館と全集とをあわせて活用すれば、森敦の全体像が見えてくるかと思う。
 ほかに、対談、座談会、講演記録があり、書評や文芸時評などの資料も保存されている。これらの資料も公表できたら幸甚に思う。

 森敦(1912〜1989)は庄内放浪を最後に上京した。昭和40年(1965)から、死亡した平成元年(1989)の間、執筆に使用した机が二種類ある。
 
□調布市のやよい荘……四畳半の書斎、長方形の卓袱台、『月山』などを執筆。

 〔昭和50年5月18日(63歳)。二村次郎氏撮影〕
 
□新宿区市谷田町……八畳の書斎、横が一間余りの細長い漆の机、『われ逝くもののごとく』などを執筆。

 〔昭和62年12月ころ(75歳)〕
 
 以上の二つの書斎は乱雑だ。整然とした書斎では頭がまわらないと言って掃除を嫌った。埃と煙草の灰の中で作品を生み出したのである。
 

 〔恩師の横光利一さんと並んだ森敦。昭和8年12月撮影。『酩酊船』が東京日日新聞に連載する際、東京會舘で記者会見をした記念写真〕
 この写真で森敦が着用している袴は保存されている。遺品の中でいちばん古い。昭和8年(1933)12月撮影の記念写真に写っている袴。『酩酊船』の新聞連載発表のときの写真で、師と仰いだ横光利一と森敦が、ともに羽織袴で二人並んで椅子に腰掛けている。次に古いのは、『月山』を書いた卓袱台。これは、昭和10年(1935)奈良東大寺の上司海雲さんの住む塔頭勧進所に寄寓したときに入手し、その後の放浪にも持ち歩き、生涯を共にした。
(平成25年5月、森富子 記)
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