(文 森富子)
Part 4
*凧 *拡大鏡(ルーペ) *落款 *財布 *ショルダーバック
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*凧
 凧には大変な興味と執着をもっていた。
 『鳥海山』収録の「天上の眺め」の後半は、朝鮮凧について克明に語っている。凧について3つの図を入れて、材料、作り方、凧の切りあいを語るうちに、忘れられない凧の話となる。
 凧については、『わが人生の旅』でも多くを語っている。
 この凧の入手経路は不明。処分しようとすると、「取っておいてほしい」と言った。いつも書斎の見えるところに置いて、凧のイメージを増殖させていたかったのだろう。

*拡大鏡(ルーペ)
 特に辞典を見るために必要で、灰皿の横あたりにおいて使っていたため、煙草の火で縁取りが溶けているのもある。雑然と積み上げる紙類の中に埋没したりするので、いくつも買い込んであちこちに置いた。原稿を楷書で書くために漢字を調べたり、辞典の小さな活字の説明を読んだりするために拡大鏡は手放せなかった。
 戦後の紙不足以来、出版物の大半は、8ポか9ポで組まれていて、「読みにくい」と不満であった。『月山』の本造りの際、10ポイントで組むことが絶対条件であった。以後どの著書も10ポで組むことを希望した。そのため、編集者の方々から「10ポの森さん」と言われた。
 10ポで組まれた梶井基次郎の「闇の絵巻」を読んで、「大きな活字で組むと文章は間延びするものだが、いい文章は10ポでもますますいい文章になる」と言った。

*落款
 数多いが、紐のついた皮の袋に入っている落款を使っていた。気にいっていたのだろう。ショルダーバックの中に入れておいて、地方に行くときも持って歩いた。大きな書のときは、楕円形の落款も使った。落款を定位置に押すための定規は、大きな書のときに使った。
 落款を押すのは富子であった。筆を持つのは晩酌した後のリラックスした気分のときで、夜中の十一時ころ、本の場合はサインするページを開くのだが、天地逆にして差し出すようなこともしたが、森敦は叱ることなく「新しい本を持っておいで」と言った。
 死ぬ半年前のころ、「毎晩、酒を飲んだら、好きな言葉を色紙に書いてあげる。生活に困ったら、一枚ずつ売って生活の足しにすればいい」と言ったが、一枚も書かなかった。手がふるえ書ける状態ではなかった。

*財布
 特別なことがないかぎり、いつも十万円が入っていた。ショッピング、飲み食いなどをしないから、十万円は減らなかった。
 あるとき、「横光(利一)さんから、鰻のはしごを誘われたように、家に訪ねて来る青年を誘って、神楽坂のたつみやの鰻をご馳走するといい」と言ったら、財布の十万円が減るようになった。
 常々、「自分で稼いだお金は、遺さずに、使いきってね」と言うと、「きみの給料では心配だから稼いでいるのだ」と言い返された。「会社のみんなは、給料で妻子を養っている」と言うと、「いや、心配だ」と言った。放浪はお金の心配の連続であったため、稼げるときは懸命に稼ぐという習性が身についたのだろう。

*ショルダーバック
 京王線の始発電車に乗り、山の手線に乗り換えて五週くらいめぐって草稿を書き出したころから、ショルダーバックを使い出した。ゲラ用のわら半紙、筆記具、煙草、ライター、薬などを入れていた。テレビや講演に出るようになると、髭剃り、ヘアブラシ、タオルなども入れておき、ショルダーバック一つで各地に出向いた。
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