(文 森富子)
Part 9
*ロカビリーテープ *赤色の鉛筆 *鼈甲の煙草入れと皿 *鉛筆削り *灰皿
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*ロカビリーテープ
 赤、緑、黄色、紫の、俗に言うロカビリーテープは、調べものをするときなど、手でちぎって、本の間に挟み込むというように利用した。家中のあちこちに置いて使った。テープの巻きが緩まないように、テープの断面の四箇所ほどにセメダインをつけておいた。

*赤色の鉛筆
 森敦は筆圧が強いため書痙に苦しんだ。ボールペンの追放を思い、原稿執筆は細字用のサインペン、校正は赤色の鉛筆にした。その残骸がこの赤色の鉛筆だ。

*鼈甲の煙草入れと皿
 今では輸入禁止の鼈甲でつくった煙草入れ(左)と皿(右)。愛弟子の高瀬千図さんが新潮新人賞を受賞したとき、長崎で求めた貴重な品を持参した。

*鉛筆削り
 鉛筆削りは、むすめの富子が尚学図書を退社(昭和四十四年)したときの記念品だが、便利だと言って、書斎に置いて使っていた。考えごとをしていたのか、新しい鉛筆を短くなるまで削ったことがある。

*灰皿(『全集G』の「コレクション」参照)
 「煙草は日に五十本は吸う」と豪語した。二十歳初めの小説『酩酊船』で「喫煙病が膏肓に入った」話を書いたように、煙草に執着した生涯であった。
@放浪しているときに使った灰皿。YOKOHAMA RUBBER CO. LTD.の銘がある。森敦は火をつけて一口吸っては灰皿に置いて燃やすのだが、灰皿の下に火のついたままの煙草が落ちて、焼け焦げをつくった。この灰皿は吸いかけの煙草の落下を周りのゴムが防いだが、吸殻入れが小さくてヘビースモーカーには向かなかった。
A小さなステンレス製のお盆の中に灰皿を置いた。お盆の淵に煙草を置けないので、燃やした煙草の灰はお盆に落ちて、机や畳を焦がさなくなった。
B寝室用の煙草盆。寝煙草をしながら、読書したり原稿を読んだりした。かつて寝煙草で布団を焦がしたことがあって、外に出して水をかけてもくすぶり燃え続けたと言い、火のついた布団綿の恐ろしさを語っていた。
C灰皿には「昭和54年第46回東京優駿競走優勝記念 カツラノハイセイコウ号」と刻まれている。同年六月五日〜六日、TV〈ほっかいどう7・30-サラブレッドのふるさと 日〉の録画撮りで鮫川牧場訪問。エッセイ「コレクション」(『全集G』)に〈いちばん印象の強い〉灰皿とある。談話「マイ・ホビー」(「ふたりの部屋」昭和57年9月1日、主婦の友社発行)に〈テレビを見ている私の前で、カツラノハイセイコウが先頭でゴールインしたのである。それからというもの、私は鮫川牧場では幸運を呼ぶ男だと呼ばれるようになったのだ。〉とある。
D灰だらけの机、置き煙草による焼け焦げを防ぐために買い求めた灰皿の一部。畳、トイレの床、ロッカー設置の廊下には、煙草の形をした焦げ跡が多数あった。
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