(文 森富子)
Part 13
*花瓶いろいろ@ *花瓶いろいろA *サルの腰掛け *ベンジン *記念の時計
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*花瓶いろいろ@
 知人や講演先などでいただいたもので、陶器、漆、木などさまざま。新宿区市谷田町に移った当時の書斎の写真に写っていたりする。書画骨董収集の趣味はなかったが、関心はあった。「放浪先でよく書画骨董の類を見せられたものだ。読めない字は逆さにして見ると読めるもので、読んでやると、さすがだと喜ばれた。名品名作を誇る豪家の収集が、後々の調査でことごとく贋作偽作と分かったという話がある」などと語っていた。エッセイ「贋作偽作」(『森敦全集8』185ページ)がある。

*花瓶いろいろA
 記念品、土産品である。
 左端は、昭和51年(1976)、福島県郡山市日大工学部で行った、教養講座講演の記念品。講演記録〈わが人生〉が『教養講座講演集』(日大工学部、昭和62年刊)に収録。
 左2つ目は、「旅の手帖」(弘済出版社発行)に「わが人生の旅」を連載したとき、担当した飯尾眞弘さんが持参した土産品。飯尾さんは、連載した八年間、毎月通って原稿を受け取ったが、その度に自筆原稿に目を通した。森敦は、原則として、原稿は手渡しで、必ず読んでもらった。編集者は執筆者の目の前で読まされるので緊張したであろう。「飯尾さんが一枚ずつ丹念に読む表情で、原稿の出来栄えが分かるのだよ」と言い、「今回は声を出して、笑っていたよ」と嬉しそうに語っていた。

*サルの腰掛け
 雑誌やテレビなどの取材で山奥に行ったときの土産。「営林署の方からもらった。削り取って煎じて、それを飲むと、癌に効くのだそうだ」と言って、自らの手で大事そうに、書斎の棚に飾った。

*ベンジン
 折りたたんだ手拭い(後に、タオル地のハンカチーフ)にベンジンを滲みこませて、洟をかむと水洟が止まると信じて、風邪をひくとベンジンの世話になった。風邪をひいた客に、ベンジンの効用とやり方を講釈し、「やってごらん」と強制するので、ひんしゅくをかった。講釈のとおりにしても、客はベンジンを吸い込んで咳きこんだ。

*記念の時計
 左の黒い時計は、表面に文藝春秋60年とある。
中央の茶色い時計は、裏面に「芥川賞直木賞展」1983年とある。この展覧会に『月山』の自筆原稿を展示したいとの要請があったが、「女の人にあげてしまって、誰だか忘れてしまった」と言って、冒頭の何枚かを原稿用紙に写し取って、展示会担当者に渡した。行方不明になっていた自筆原稿が、森敦の死の半年前に戻ってきたのだが、15年ぶりに手にして「懐かしいなあ」と笑顔になった。
 森敦の死後、神木さんから行方不明になっていた経緯を聞いたので、以下に記しておく。
 昭和48年(1973)「季刊藝術」夏季号に発表後、自筆原稿は勤務先の近代印刷の森敦のもとに戻された。新聞雑誌の文芸時評で好評を得て嬉しくなり、近代印刷の事務を手伝っていた同人誌関係者の神木末子さんに「原稿が欲しくないか」と何度も言うので、「返してほしいと言わなければ、いただきます」と条件をつけたところ、「返せとは言わない。これは男の約束だ」と言ったという。
 原稿をあげた「女の人」を追及しても、口を堅く閉ざし通した。『月山』は発表当時に交流のあった「女の人」に問い合わせていたが、神木さんとは連絡のとれない状態が続いた。結局、神木さんが「富子さんが保存すべき原稿です」と言って、森家に返してきた。
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