005 耳順(みみなろ)う文学(抜粋) 桶谷 秀昭
   生活体験に届く言葉
出典:東京新聞 夕刊 昭和48年10月12日
60前後の作家の思感
 孔子の「六十而耳順」は、六十になって人の言葉がすなおに聞かれるようになる、自分と異なる意見にたいしても、それなりの存在理由を認め、むやみに反発しないようになる。学者の解釈によればそういう事らしい。おそらく正しいのだろうが、専門家ではない小林秀雄「耳順(なろ)う」とは、長年の耳の修練によって、人の言葉をその音調によって判断できるようになった、思想とはそれを言う人間の人格に関係した調子である、と解している。たいへんおもしろい解釈だと思う。
 六十前後の作家の思想は、まさに耳を傾けてきこえる音声の調子にあるからである。
『残忍な様相』に耐え
 森敦の「月山(がっさん)」(季刊芸術第二十六号)は出羽三山と呼びならわされている庄内平野をみおろす山、「古来、死者の行くあの世の山とされて」きた月山の山ふところの一寒村の荒れ寺に、「わたし」がひと冬をすごす。雪にとざされ交通の途絶えたこの村で、かろうじて生命をたもつだけのぎりぎりの暮らしの中で出会う、まるであの世の人間のような村人たちとの交際や、きびしい自然とのたたかいの中に織りなす「わたし」の祈りや幻想が描かれている。
 この作品はジャアナリズムに知られていないが、編集後記によると、菊池寛、横光利一に親愛されたという長い作家歴をもつ人である。そういえば、この小説も、自分の書きたい事だけを書くという。妥協のない戦前の作家の芸術家気質を感じさせる。文体は一見そうは見えないが底に気むずかしさがあり、重く沈んでいる。
 作品のモチイフは、「月山は、月山と呼ばれるゆえんを知ろうとする者には、その本然(ほんねん)の姿を見せず、本然の姿を見ようとする者には、月山と呼ばれるゆえんを、語ろうとしない」というところにあろう。「月山」を「死」と置きかえれば、この小説はこの世とあの世の間に彷徨する一つの魂の記録とも読める。だがもちろん、これは月山に象徴される死の絵解きではない。吹雪にとじこめられ、来る日も来る日も鉄なべに煮た大根の味噌汁を啜り、割り箸をけずりつづける寺の住職や、酒の密造をやり、それを密告する者があり、互いに疑心を抱きながら、疑心よりも遥かに重く大きい悲惨の記憶や怨みを心の底に沈澱させて生きる村人が、時折のぞかせる秘密を語る重い口調から洩れる呻きそのものである。
《こうしてその夕焼けは雪の 山々を動かしながら、彼方へ彼 方へと退(の)いて行き、すべ ての雪の山々が黒ずんでしまっ た薄闇の中に、臥した牛さなが らの月山が、ひとり燃え立って いるのです。かすかに雪の雪崩 れるらしい音がする。(中略)
 
  彼の岸に願をかけて大網の
   曳く手に漏るる人はあらじな
 
それにしても、なにものもと らえて漏らさぬ、大網を曳く手 とはなんなのか。それほど仏の慈悲が広大だというなら、広大なることによって、慈悲ほど残忍な様相を帯びて来るものはないであろう。……》 
 人の生活の根底にあるものは、こういうどこへも抗議しようのない「残忍な様相」に無意識に耐えている想いである。作者はエピグラフに「未だ生を知らず、焉ぞ死を知らん」という「論語」の言葉を掲げているが、これはそういう想いとこの作品の中でひびき合っていると感じられる。
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