010 文芸 3月の文学
    文壇に森敦現象の重味
    氏の世界の“構造”を支える死生観
                    江藤淳
出典:毎日新聞(夕刊) 昭和49年2月25日(月)
受賞作「月山」と他の作との相違
 さきごろの芥川賞決定以来、いわば“森敦現象”とでもいうべきものが、文壇を席巻しつつあるように見える。
 これを“現象”といって“ブーム”といわないのは、森敦氏という六十一歳の“新人”の出現に、単に苦節四十年が報いられたといっては済まされないような重味が感じられるからである。
 四十年前、十九歳のときに、森氏が『酩酊船』で一度文壇の一隅に登場し、やがて沈黙して以来、幾多の作家が現れては消えて行き、幾通りもの文学史が書かれた。しかし、そのあいだにも、森氏の人生は持続していたのである。その人生は、持続するあいだに一つの文学世界を構築し、それはいつの間にか、あたかも吹雪の彼方から姿を消した月山のように、文壇の傍らに吃立(きつりつ)していた。
 そうとでもいわなければ、森氏の出現の意味は、充分にとらえられそうもない。森氏にとっては、芥川賞は外からあたえられたものではない。芥川賞自体がなにかを思い出したとき、森敦というユニークな作家が、記憶の奥底から浮かび上がって来たのである。
 ところで、今月は、受賞作の『月山』(文芸春秋)のほかに、森氏は『初真桑』(文学界)、『かての花』(群像)、『鴎』(文芸)の三作を発表している。作者自身の断り書によれば、『月山』以外はすぺて旧作の改稿らしいが、これらを併せて通読すると、おのずと氏の世界の「構造」が感得されるようになっている。
 だが、そうはいうものの、『月山』と他の三作とのあいだには、シンフォニーとピアノ・ソナタの第一楽章ほどのちがいがある。つまり、『月山』では、他の三作に共通したモチーフがいっせいに響きあって、重層的な言葉の音楽──むしろ沈黙の音楽を湧出(ゆうしゅつ)させているが、他の作品ではモチーフが単旋律のままにとどまっているのである。『月山』をもって、森氏の構築して来た世界の集大成とする所以である。
 それなら、この世界はどのような世界だというべきか。それを、たとえば、
 《洞水流花早ク、壺天雪春ヲ閉ス》
 というような世界だと、いってもよい。森氏の主人公は、『月山』でも『初真桑』でも『かての花』でも、山に入り、あるいは山を望む。その山が、月山であったり弥彦山であったり、はたまた鳥海山であったりするだけである。そして、山に入れば雪が降り積もり、主人公はいながらにして白い壺中の天地に閉ざされる。
 『月山』では、主人公は、さらにこの壺中の天地のなかに、祈祷簿でつくった和紙の蚊帳を吊り、あたかも「繭の中」にいるように破れ寺の庫裡に吹き込む吹雪を防いでいる。この主人公が、なぜこんな山奥で冬を過ごさねばならないか、家も家族もないままに流浪しているのはどういうわけか、という点についての説明はなにもない。
あるアイロニーを漂わせた世界
 この説明がないままに、読者が作品の世界に惹きこまれるのは、作者の筆力のせいであり、なかんずく山の描写の圧倒的な力のせいである。それは、あたかもアニミスティックな迫力で、読者の心に迫って来る。そして、いつの間にか山中の別乾坤──それ自体で完璧な一つの宇宙のなかに、読者を連れ去ってしまう。
 この点で、森氏の世界は、明らかに壺中の天地でありながら、それほど老荘的な世界だというわけではない。むしろそれは、日本古来の山岳信仰に近い世界であり、しかも別乾坤でありながら生死を超越しているというよりは、生と死にくまどられているという意味で、あるアイロニーを漂わせた世界である。月山そのものが「死者の行くあの世の山」であり、ここに足を踏み入れたとたんに、主人公はいながらにして「あの世」に移ったのかも知れない。その証拠に『月山』の、雪に閉ざされた山中の寺での「花見」の場面では、どの人物も亡者めいた雰囲気で描かれ、どこかこの世のものならぬ鬼気を感じさせるのである。
 いずれにしても、死生観は、森氏の世界の「構造」を支える重要な柱である。『月山』は、とりわけて死と再生の寓意を秘めた作品だといってもいいかも知れず、再生の彼方に氏は、『かての花』の、
 《なんという穏かな景色であろう。これがたしか山越えに潮騒もすると聞いた凄まじさが、ようやくにしてつくりなした眺めであることも、わたしにはもう思い浮かばなかったばかりでない。それがあたかも古里ででもあるように、わたしの行ったいまは遙かな彼方から、かつていた遙かな彼方へと戻るつもりでここに来たことも忘れいつ知らず辿りつくぺきところに辿りついたような気になった》
 という、「古里」の安息を望見しているのかも知れない。
 しかし、ここで問題なのは、氏の描くアニミスティックな壺中の天地の全体的・根源的なひろがりと、そこに自己を閉ざして行く主人公の個人的な動機──それは前述の通り明らかにされていないが──きわめて微妙な乖離(かいり)が感じられはしないかという点である。この疑問は、当然、氏の死生観が、別乾坤のなかでしか展開し得ない「構造」のものではないかという疑問を抽出せずにはおかない。
 そこにはまた、森氏の文学観と昭和初年の文学とのかかわりあいという問題も、伏在している。たとえば『鴎』は、今月発表された森氏の諸作のなかでは、おそらく一番“人情味”のある作品である。その“人情味”が、作中の夫婦の会話から生じていることはいうまでもないが、私はこの作品を一読して、その雰囲気が小林秀雄氏の初期の作品『女とポンキン』と似通っているのに一驚した。森氏の文学が、ある一点で昭和初年の時代精神に根ざしていることは、ほぼ確実と思われる。
昭和初年の時代精神に根ざして
 そういえば、あの「繭の中」のモチーフなども、もとをただせば昭和初年の時代精神とどこかでつながっているのかも知れない。私は、十数年前に、『青春の荒廃について』という文章で、主として平野謙氏を念頭に置いて、「繭の中」に自らを包みこもうとするあの時代の精神の特質を論じたことがあった。しかし、いうまでもなく、「繭の中」に自らを包みこもうとするのと、そうしている自己を描くのとのあいだには千里のへだたりがある。それはもとより、「荒廃」した青春と「再生」した青春との距離である。
 森教氏について論じているうちに、紙幅がなくなったが、野呂邦暢氏の受賞第一作『砦の冬』(文学界)も、芥川賞受賞第一作にはめずらしく力のこもった作品で、ことに安宅二尉という大学出の将校がよく描けている。そのほか、金鶴泳氏『仮面』(文芸)も力作で、先月「文芸」に『雲の橋』を書いていた日野啓三氏とあわせて、このたびの芥川賞候補作家たちの充実ぶりをうかがわせている。
 ほかに、『舞踏会の手帳』(新潮)、『ささやかな平家物語』(群像)の二作が面白く、ことに後者の奇想は愉(たの)しかった。逆に退屈きわまりなかったのは、座談会『「昭和四十年代作家」の可能性をさぐる』(群像)であった。かかる座談会は、当然三分の一程度に整理・編集してから活字にすべきである。
(えとう・じゅん=評論家)
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