021 牛の背 森敦著「月山」 司 修
出典:週刊読書人 昭和54年4月23日
 森敦著『月山』(河出書房新社)は、ニューヨークのショールウッド社から出坂されている GREAT DRAWINGS OF ALL TIME IVの日本の部にあった牛の図をもとにした。鎌倉期の絵で作者不詳である。本に、帯をつけると、牛の頭が隠れ、背が、あたかも山のようにみえる構図をとった。月山は臥牛のようであると本文中にあったのがヒントでもあった。
 僕が子供の頃、家の前の道は、舗装されてなく、馬車や牛車が良く通った。馬の糞は黄色く藁が見えてころっとしていたが、牛は黒くぐしゃっとしてきたなかった。いつ見ても尻に糞をひからばせ、群がるハエを尾で追っていた。ある夏の日、いつものように母から昼寝をするように言われ、眠れぬままにごろごろしていると、板塀の破れ目に金魚屋が桶をしょって通っていった。しばらくしてから「キンギョオーキンギョ」とうなり声がしたが、映画のフイルムが板塀の破れ目から動き出したような具合いだった。いつもなら、だいぶ遠くからその声は聞こえ、ゆっくりと近づくのに、と思ったものだった。蝉の声がしきりにしていた。ミンミンズクやアブラゼミの合唱だった。その声で消されていたのだろうか。蝉の声が一っ時休むことがあると、七・八匹のハエの飛びかう羽音が耳につく。庭の畑に新聞紙や白い紙が所々あるのは、人糞をそのまま撒いているからで、そこからいくらでも飛んでくる。ハエは丸々と太っていた。天井から、モチのついた細長い紙が下っていて、時たま編隊からはなれたハエがくっついてはなれなくなる。逃れようとしてもがいても体力を使いつくすのみで死ぬ。ちゃぶ台の上にも、透明なガラスで出来たハエ取りが置いてある。金魚鉢をふせたような形をしたそれは、中央に砂糖が置いてあり、下のスキ間からハエが砂糖をなめに入り、満腹して飛び立つと出られなくなる仕掛けになっている。僕は最初から眠りたくないので、横になったままそうしたものを見ている。のんびりしたプロペラの音が遠くに聞こえると近づいて姿を見せてくれないかと心躍らせる。外へ出て行けば、近づかなくとも、二枚羽の飛行機を見られるが、そんなことをしたら、それまでがまんした時間が無駄になるので、じっと待つだけである。蝉の声が、またけたたましく聞こえだす。
 板塀の破れ目に牛の顔がゆっくりと出て、背のあたりで止った。背のコブが小さな山のように見えた。
 出来上がった『月山』の本を見て、ふとその時を想い出した。牛はいつまでも動かなかった。僕は体を動かし、スキ間を変えて見ると、牛を引いていた男が小便をしていた。長い小便だなと思った。男の水分が全部出てペシャンコになるのではないかと思った。男は小便をし終えると、チンポコをふりながら牛に近づいて仕舞った。牛が動きだして、荷の藁が通っていった。塀の破れ目から見えた山が本物に見えたので、なくなると不思議な感じがした。
 次の日も、母は「昼寝」といった。午後の三時頃だった。その日は母がつきっきりで、とうとう眠らされた。夜になると大空襲になった。家も板塀も灰になって消えた。
                                            (つづく)
 ▽写真は「月山」(昭和49年刊) の表紙カバー
↑ページトップ
書評・文芸時評一覧へ戻る
「森敦資料館」に掲載の記事・写真の無断転載を禁じます。