022 文芸時評(抜粋)
    たのしく息づく思想 森氏「弥彦にて」 小島信夫
出典:朝日新聞 夕刊 昭和43年5月28日(火)
 季刊誌「ポリタイア」(近畿大学刊、檀一雄氏編集)の森敦氏の『弥彦にて』は、弥彦山の位置と高さ、荒涼たる風景の説明からはじまる一見、古めかしいともいえる文章だが、読み進むにつれて作品ぜんたいで暗示的に、「存在」について語りはじめる。そして話はそのふもとにあるグリ石にうつる。
 つまり、グリ石の演じる奇跡がユーモラスに語られるのであるが、それというのも、彼らがグリ石がそれそのもので全体であるからである。ダム建設のために巨大な鉄槌(つい)を打ちこんでも、そいつらのかたまりにあうと曲がってしまいあきらめなければならない。彼らは生きているが、墓石にもなる。
 ところが、かかる奇跡の主、グリ石は、ある日佐渡に面した弥彦の向う側に降りて行くと、あやまった価値をあたえられている。
 第二ページ目、石原にある競輪場の競輪選手について、こう語られている。
 「だが、彼らはみずから馬丁になって、彼らの馬であるところの自転車をケースに入れ、またどこかの競輪場へと旅立って行くために、とぼとぼと歩かなければならぬ。すなわち、彼等は騎手であると同時に馬丁であるということ、彼等が彼等みずからにおいてすべてであることが、彼等を誇らすどころか、卑下すらさせているらしい様子が、みょうにわたしの共感を呼んだ。」
 この選手も一種のグリ石であることに変わりはないが、この部分があることによって作者の思想が楽しく息づいてきた。                          (作家)
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