024 文芸時評(抜粋) 「文学」への苛立ちの擬態
    蓮實重彦
出典:日本読書新聞 昭和49年3月11日
 ただ顔をそむけてやりすごせばことたりる醜く薄められた言葉たち、書き手の思惑が身勝手に肥大させる諸々の主題と程よく馴れ合って筆にのり、あられもなく「文学」にしなだれかかってゆく醜悪な言葉たちは、たとえば、『洪水はわが魂におよび』と『一族再会』といった書物が、たがいに相手の視線を避けつつも遂には身を寄せあってしまうという、あの矛盾も葛藤も知らぬ平穏な場を、理想的な環境として生きたいと夢みている。何のことはない、彼らは、まだ見たこともない「文学」なるものの、その最も近くまで踏みこんだ地点で目醒めてみたいと願っているのだ。
 想像力による変革への志向だの、時ならぬ状況の亀裂への潜行だの、回帰による自己弁明の試みだの、かかげる旗じるしにこと欠きはしないのだから、そんな言葉たちが確信しているのはおのれの現在にとっての切実な主題の存在であり、だからそれをいったんさぐりあてたら、後は主題にふさわしい色調で言葉を染めあげればよいと思っている。書き手の内面をふるわせる切実な思いに促され、「主題」と「文体」とが過不足なく調和してもくれよう、といった次第なのだ。
浮上した「森敦的作品」の相貌
 多くの場合、幸か不幸か、その夢は夢である以前についえさり、したがってあまたの.言葉は顔をそむければことたりる醜さとして素通りしてくれる。だが時ならぬ現象として浮上したかにみえる「森敦的作品」の相貌は、稀薄に水増しされた醜い言葉を、ことによったら「美しさ」と境を接していないでもない重い「醜さ」として、ぼってりとあつぼったく瞳にまつわりつかせてしまう。
 やっと忘れたつもりになれた「文学」が、したたかに生き伸びていたかも知れぬというわけだ。これはいささか不快なことではないか。「初真桑」(「文学界」)の「仄かにただよう真桑瓜の香り」「かての花」(「群像」)の「糧(かて)にもならないかての花と笑われていたが、すべての木も草も枯れ果てたとき、人が最後の糧にした花の木、「鴎」(「文藝」)の「ながくただぼくについて、ここまで来たとしか思わなかった女房が、じつはそうした女房あるがために、ようやくここまで来られたのを知ることの、あまりに遅かったことに及ばぬ後悔をしていると、また羽風を切って」飛来する「鴎の群」といった、三つの作品をしめくくるイメージと鳥海山、弥彦山などの遥かな山肌をめぐって滑りはじめる冒頭の筆づかいとが、いかにもそれらしく声をひそめてうなづき合っている風情。
 そして、仮り住いらしい家の縁先きから、鴎の群が舞う潮騒の浜から、行商人がしゃべっては眠るのろい汽車の窓から、春近い雪の杉林から、鳥海山が「幻のごとく現れくるばかりか、あわあわと消えようと」したり、「すうっと青霞に消え」たり、「ゆるやかな山裾を曳いた弥彦山が、まったく違った山のように見返えられた」りするさまが、妻や、友人や、土地の老人たちとの対話、山々をめぐる古来のいい伝え、山裾にひろがる世界の点描、季節の推移、といったものの適確な組み合わせを糸として、あつかましげなところのない絵図を織りあげていること。
 そう、これは、いかにも「文学」に酷似した何ものかなのだ。水増しされてもいなければ凝縮されたわけでもないその言葉。これもいかにも「文体」とやらに酷似している。変容する山塊をめぐって時間的・空間的に移行する漂白の魂、これもまたそのつつましげな造型性によって「主題」なるものに酷似している。そして、「森敦的作品」がまとうこの二重、三重の酷似が、ただ顔をそむけているわけにはゆかない鬱陶しい「醜さ」となって迫ってくるのだ。
「文学」に酷似した何ものか
 「文学」に似てしまう言葉ほど醜悪なものがまたとあろうか。それは、「文学」には似まいと決意した言葉と同程度に醜い身振りとなってあたりに頽廃の種をまきちらす。「文学」とは、よく書くことによって徐々に接近しうる理想的な環境ではない。
 それは刻々遠のいてゆく境界線であって、その向う側で何が起こってるのかを垣間見たものがかりにいたとするなら、彼は、たちどころに言葉を奪われて絶句するほかはないはずだろう。だから、「文学」に似てしまうことが、「文学」にあっては最大の醜態なのである。但し、この醜態すらが、すでに選ばれた者の刻印があるところに「文学」の不幸があるとでもいっておこうか。
 よりよく書くことで「文学」に酷似する醜悪さを演じたのが現象としての「森敦的作品」であるとすれば、よりよいことを書こうとしてありうべき「文学」を夢想し薄められた言葉の酷しさに浸りきっているのが、柄谷行人の森鴎外論「歴史と自然」(「新潮」)であろう。
 
(以下略)
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