036 森 敦著 文壇意外史
   伝説的半生を語って
   一貫したデカダン振り       林 富士馬
出典:日本読書新聞 昭和50年2月3日(月)
 著者が六十一歳か六十二歳で、第七十回の芥川賞を受賞し、文壇的というより社会的な話題になったのは、つい一昨日のことであったが、もう大昔の噺のような気もする。
 当時、単に文学界だけでなく、一般社会に、六十歳の老人が、若い人々に雑って、若武者のように芥川賞を受賞したということで直接に文学には関係のない老人たちを鼓舞したのである。
 実質的に、目立たないが老人の人口は実に多くなって、ひとつの階層をつくっているのである。
 その受賞前、森敦の名前は、少年時代、横光利一に可愛がられ、第一高等学校の一九歳の学生として、当時の大新聞、東京日々新聞紙上に「酩酊船」という連載小説を発表し、以後四十年近く、沓として行方知れず、一部の文学青年の間には、伝説的な存在となっていた。著者とおなじ世代の、(現在では文学老年の一人として)私も亦、その名前を聞かされていた。
 昭和二十九年、小島信夫が芥川賞を受賞した時も、昭和三十四年斯波四郎が受賞した時も、更に又、昭和四十二年度の直木賞を三好徹が受賞した時も、私はこの人の噂を聞いた。なんでも、これらの受賞者の文学的師匠は、前記の、森教という伝説的人物だというのである。
 文壇や芸苑界が世智辛くなり、甚だジャーナリスチックになっている時、そういう風な、いささか古風で、のんきに律義な文壇噂咄を、私は古風な文学少年の一人として、面白がり、よろこんでいたが、今度、この書物を読んで、以上の噂が、まんざらの噂だけのことでもないことを改めて知ったのである。
 今度の、この『文壇意外史』は、森敦氏が芥川賞を受賞した直後、世間の評判になっている時に「週刊朝日」に連載されたものである。
 編集者は、どういう心算でこの原稿を書かしたのか、或は一種のキワモノ的な興味で依頼したかも知れないという気もするが、著者は、掲載紙が週刊誌ということで、いくらか途迷い気味に(というのは、はなしが面白くなければならなかっただろうから)併し、大そう真面目に今迄知られなかった自分の半生、青春放浪を綴っているのであった。従って、表題が『文壇意外史』となっているが、読者は、一種のSensational(煽情的)な、その表題に迷わされない方がよい。
 著者の文学的立場は、反思想的思想、つまり、デカダン(堕落頽廃)とダンディー(しゃれ立ち姿)とでも云うべきものに貫かれているが、この書物も、そのデカダン振りとダンディ振りを堪能すべきである。
 或は森敦の奇想天外な文学的発想を存分に、奔放に発揮させるためには、或は座談の速記にした方が、更に特長が出たかも知れない。というのは、小説の場合と違って、ここは案外、対話がなく、独演形式なのであるから。
 それにしても、長い間、私なんかの最も愛好する、時代ばなれのした文学的な伝説が、六十歳を越して芥川賞を受賞し、大衆のために、その伝説を近代にふさわしく完成してくれたことをよろこぶのである。(筆者はやし・ふじま氏=作家)
 ∇四六判二六二頁・八五〇円・朝日新聞社=千代田区有楽町二の六の一
(石)
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