050 『意味の変容』ノオト
  奇蹟的な作品 柄谷行人(文芸評論家)
出典:森敦著『意味の変容』付録 昭和59年9月
 森さんの『意味の変容』は、一九七四年「群像」に連載された。当時、森さんは『月山』で芥川賞を受けた作家としてポピュラーであったけれど、この作品を全部読みとおした人はほとんどいなかっただろう。明らさまな反撥以外にほとんど何の反応もなかったと記憶している。私はたまたま同じ雑誌に『マルクスその可能性の中心』を連載していたが、やはり読者の反応を期待できず、ひどく場違いな感じに悩まされていた。そのために、堂々と難解きわまる作品が横に並んでいることに元気づけられていた。のみならず、よく理解できないままに、私は深い印象を与えられていた。
『月山』の一見して朦朧とした雰囲気の背後に、このような緻密な論理がひそんでいるという発見は、私にとって驚きだった。明らかに日本の文学(古典から漱石の『草枕』におよぶ)の系譜に属しながら、『月山』には実質な論理性や構造がある。その秘密の一端をのぞいたような気がした。
 予想に反して、『意味の変容』は本として出版されなかった。のちに新刊書を批評する座談会に何度か同席したりしたときに、私は「なぜあれを出版しないんですか」とたずねたことがあったが、森さんの答えは「あれだけはもっと直したいから」というようなものだった。森さんの年齢のことを考えると、それは死ぬまで出版しないというようにきこえた。私は『意味の変容』が森さんにとって大きな存在であることを知り、日本にこんな作家がいるということに感動をおぼえた。それ以来、私にとって森さんは、人に知られた『月山』の作者ではなく、知られざる『意味の変容』の作者となった。
 森さんを実際に知ってみると、『意味の変容』の作者であることが腑に落ちるようになった。この作品は、森さんの全経験と思考のエッセンスなのである。私が仰天したのは、森さんの記憶力である。たとえば、鼎談の文芸時評のとき、交代で最初の発言者が作品のあらすじを紹介することになっているが、ふつうその人は(当然私自身も)、本に線を引いたり筋書きをメモしたりして準備しておくのに、森さんは何もしないで、こみいった筋書きを細かなディテールにいたるまで淀みなくしゃべる。それも七、八篇が収録されている短篇集について、それぞれ題名を確認するだけで無造作にやってのける。しかも、われわれよりはるかに高齢の森さんが、である。以来、森さんが古今東西読んだ小説をすべておぼえているといっても、それが誇張でも伝説でもないことを知った。そして、森さんが放浪生活のなかで、手元に本がないままで思索を確実につづけられたことを納得できたのだった。
 この多様なディテールに関する尋常ならざる把持力に加えて、私が驚嘆したのは、いわば同一的な「構造」を直観する能力であり、それを論理的に展開する能力である。これらはふつう矛盾する能力なのだ。前者だけなら、あるいは後者だけなら、たぶん私はそれほど驚かないだろう。そして、森さんの場合、両者の結合は、資質をこえた一つの理論的必然としてあらわれている。
 森さんは『華厳経』から出発したという。私はそれについて無知にひとしいが、たとえば西田哲学派によって頻発された一即多、多即一というような論理が、つまりその言葉の濫用のゆえに“いっしょくた”と揶揄された論理が、『華厳経』からきていることを知っている。(西田幾多郎本人はそれと数学的な問題を結びつけた人だから、青年期の森さんは間接的にであれそのような知的空気を吸っていたのかもしれない。)しかし、そのような「哲学」と、森さんの思考は決定的にちがっている。世界の多様性をすこしも犠牲にすることなく同一性をとりだすのが『華厳経』の本意だとすれば、『意味の変容』は文字どおりそれを実現したものだといえる。私が羨望をおぼえるのは、森さんの思考が極度に抽象的でありながら、どれひとつとして実際の事象や経験から遊離したものがないということだ。光学工場、ダム工事現場、印刷屋……おおよそ「哲学」と程遠い場所と経験が、ここではその具象性と多様性をうしなうことなくとぎすまされたロジックとして結晶している。私が類比的に想いうかべるのは、レンズみがきを職業としていたスピノザのような哲学者だ。
 スピノザが西洋哲学(形而上学)のなかの異者であったように、森さんは近代文学や哲学のなかの異者として終始している。われわれは、一と多、内部と外部、、主観と客観、正気と狂気、生と死といった二項対立の思考に閉じこめられており、今日それをパラドックスによってディコンストラクト(脱構築)するという作業に共感しているのだが、むしろ森さんは最初からいわば一即多というパラドックスから出発したのだった。むろんそれは東洋的な沈黙やうやむやに帰着するどころか、逆に現代数学を武器とするクリアな思考へと反転されていったのである。
 内部と外部、そしてそれらをあらしめる境界の問題。森さんは、哲学的にであれ世俗的にであれ、われわれがかかえているさまざまな分割(二項対立)の問題を、位相幾何学のタームのなかに圧縮する。それは形式的であるがゆえに、いかなる解釈をも許容する。そのとき、このテクストは、森さんの本来的な関心をこえてひろがるだろう。たとえば、森さん自身はつぎのようにいっている。

 ここにおいて、わたしたちのあらゆる認識がそうしなければならぬように、境界がそれに属するところの領域、すなわち死なる外部を、境界がそれに属せざるところの領域、すなわちこの生なる内部に創造し、まさに生の生たるゆえんを証明しようとする試みとしての、さまざまな生死観なるものがでて来るのだ。
 これはヒルベルト以来多くの数学者がこころみて来た、それを真なりとするためには完璧なモデルをつくればよいとする試みと酷似している。そのモデルが完璧であるということは、まさに境界がそれに属するところの領域すなわち外部を、境界がそれに属せざるところの領域、すなわち内部につくりだしたということになると考えられるであろう。
 しかし、こうした完璧な要請によってなされたいかなるモデルも、その窮極においては必ず自己矛盾を起こすという証明がゲーデルによってなされたのである。してみれば、それは境界がそれに属せざるところの領域、すなわち内部にあって、境界がそれに属するところの領域、すなわち外部を完璧につくることの不可能なるを証明するもので、いかなる生死観もたんなる生死観なるにすぎず、真実はただ真実らしく現れるあいだ真実であり、これを真実とすればすでに真実でないということにおいて、哲学しようという考え方に、わたしを次第に追い込んで行ったのだ。
(「生と死の境界」『わが青春わが放浪』〈福武書店〉所収)
 
 だからといって、『意味の変容』は、いわゆる「宗教的」でも「数学的」でもない。それは宗教的であるとともに、あらゆる宗教(生死観)を「それが真実として提示されるかぎりで真実でない」という意味において否定するものである。またこれは数学的であるけれども、数学者が何とか回避したがるパラドックスそのものから出発するがゆえに、そこから逸脱している。いずれにしても、内部と外部がメビウスの帯のように反転する『意味の変容』の論理から何を読みとるかは、読者の自由に任されている。たとえば、そこにキルケゴールの「反復」やニーチェの「永劫回帰」に類する認識をみとめることもできようし、浅田彰が指摘したように資本主義の「クラインのつぼ」的な時間性を読みこむことができる。だが、これはまた、比類のない私小説でもあるのだ。この名づけようのない奇跡的な作品は、読者自身における「意味の変容」を刺戟し挑発しつづけるだろう。
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