061 森 敦著 「マンダラ紀行」を読む 添田隆昭
出典:高野山教報 昭和61年7月15日
 予想されてきた破局が、とうとう現実のものとなった時、人は、呆然自失しながらも、ある種の期待感に裏打ちされた自虐的な快感を持つのではなかろうか。
 私は偶々真言宗の寺に生まれ、宗門の学窓に列し、定められた行位を了え、真言宗の僧侶として、求められれば宗祖弘法大師のみ教えを宣べ伝える責務がある。私なりに祖師の著作を学び、密教に関する研究書も読み、それを人に説き聞かせねばならない。しかし、祖師について、密教について話せば話す程、自分の卑少で狭量な理解が、宗祖大師と真言のみ教えを損い、その全体性からいよいよ遠ざかっていくのを常に感ぜざるを得ない。近づかんとすればする程、大師は遠のき、漠然たる不明の内にその姿を隠してしまわれるのである。
 この度、「月山」で芥川賞を受賞された森敦(もり・あつし)氏の近著「マンダラ紀行」を拝読し、次の一文に接した。
 「繰り返す。空海は密教を深い神秘の雲霧に隠している。もし隠していなければ、あるいは験を失うことを恐れたのかもしれないのだ」
 やっぱりそうか。やっぱり私には知り得ない秘密が宗祖には隠されてあるのかという、冒頭に述べたある種の快感を伴なう自失感が私を把えて離さなかった。実際、よく解らないのである。この本に書かれてあることが。
 今までに出版されたマンダラの解説書の中には一度も書かれたことのない説でありながら、牽強附会と簡単に退けられない内容を持っている。
 例えば、氏は、胎蔵マンダラは須弥山(シュミセン─インドの宇宙観で世界の中心にそびえると考えられた山)をモデルとしたもので、大日如来の座します中台八葉院を頂点とし、四面にして四階段の山をなすのではないかと考えられた。私は長い間、一枚の布の上に描かれたマンダラを、平面的に拡大して、何重もの門を持った城塞都市の様に考えたことはあっても、遂に、これを垂直に拡大して想像してみたことはなかった。ジャワのボルブドールやカンボジヤのアンコールワット等の遺跡の例があるではないかと言われるかもしれないが、貧弱なる想像力を以ってしては遂に今までこの二つを結びつけることができなかった。氏の見解によれば、普通に言うマンダラ図は、巨大なピラミッドを上から描いたものとなるのである。
 弘法大師はこの立体マンダラをこの日本に造らんとされたにちがいない。氏はそう考えてマンダラ紀行を開始し、高野山に至るのである。そして、九度山から高野山上に通ずる百八十町の町石道をたどり、一町ごとの石塔婆に刻まれてある梵字から、これが胎蔵マンダラ上の百八十尊を、周辺から順次内部へとたどっていく道程であり、最後は、中央の大日如来にたどりつくことに着眼される。そして、高野山は、根本大塔にまします大日如来をその頂点とする大ピラミッド状の胎蔵マンダラそのものであることを発見されるのである。また、根本大塔を出発点とした町右は、三十七町を経て、奥ノ院の大師御廟に達する点よりすれば、慈悲の胎蔵界大日如来より、金剛界三十七尊が生み出され、遂に金剛界大日如来が生まれ出たとも考えられる。
 無論、百八十町の町石が胎蔵百八十尊を表し、大塔より奥ノ院に至る三十七町石が、金剛界三十七尊を象徴することは、古来より周知の事実であるが、町石が建立されたのは大師入定後四百年も経てのことであり、大師が最初から意図したものではないと一般には考えられている。後代の弟子達が、高野山をマンダラ浄土として神聖化するために、偶々、あてはめたのだと。
 しかし、氏はここで 「メービウスの輪」という新しい解釈手段を持ち出される。今、一枚の細長い短冊の表を白く塗り、裏を黒くしたとする。この短冊を百八十度ひねって、表と裏、即ち黒と白とを両端で重ね合わせて輪にする。すると、黒い方をたどっていくといつの間にか白くなり、また黒くなる。金剛・胎蔵の両マンダラは不二といわれて、あたかも一枚の紙の表裏にあると考えられがちであるが、氏によれば、むしろこのメービウスの輪の表裏にある。金剛界マンダラは下方が東であり、胎蔵マンダラは上方が東である。この不整合を合理的に説明することは、メービウスの輪をもち出して始めて可能となる。表面の上方(東)はメービウスの輪では、たどってゆくと裏面の下方(東)に重なるからである。
 このメービウスの輪の表裏に描かれた金胎両部のマンダラの様に、高野山も百八十町の町石をたどって胎蔵マンダラを巡ってゆけば、根本大塔を結節点として、三十七町石の金剛界マンダラに連なるのである。この様なことが果して、後世の弟子達の牽強附会だけでかたずけられるであろうか。九度山から百八十町目に根本大塔があり、根本大塔から三十七町目に奥ノ院があるのは単なる偶然なのか。
 今一つの例がある。大師の誕生地善通寺と、密教受法の地長安、そして入定の地高野山が、北緯三十四度十三分に一直線に並んでいる。これも単なる偶然なのか。これ等を偶然というのは弟子達の狭量のなせるわざではないのか。
 氏は、こう激しく詰め寄ってきて、最後に
 「空海は密教を深い神秘の雲霧に隠している」
と断言されるのである。
 私の呆然自失が読者諸賢にお解りいただけるであろう。
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