064   森 敦著 マンダラ紀行
  思想の集大成を投入 思考を楽しむマンダラの世界 井上 謙
出典:週刊読書人 昭和61年9月1日
 私はマンダラのことはよく分らず、仏教思想についても素人である。そういう意味では、本書を評する資格はないかも知れないが、これは『マンダラ論』ではなく『マンダラ紀行』であり、「紀行」であれば文学のジャンルとして私にも理解できる範疇と解釈し、その視座から追ってみることにした。
 冒頭に森氏が「マンダラ紀行」を成すに到った経緯が述べられ、紀行はNHKの伊丹氏の慈悲によって実現したもので、これは仏の導き云々というようなことが記されているが、京都の高雄山神護寺を第一歩に、最終は四国八十八か所まで、本来は金剛杖と菅笠で辿る遍路の旅を、森氏は伊丹氏と車椅子で同行二人の巡礼をやったのである。そしてその行程の中で、氏は多くの如来(ほとけ)を見たのであった。車椅子による道中の難行苦行とその果に広がる渺渺たる空と海、そしてその間に綴る記号による執拗なまでのマンダラの世界の解明─、本書に含有される内容は一篇の小説としても、神秘的で深い人生の味わいがあり、しかも位相数学的な一種の謎解きのような思考論が展開されて、読者に愉しさと緊張感ある内容で迫ってくる。
 それは多分に氏の文章の魅力によるもので、ときには<論>となったかと思うと、いつの間にか臨場感あふれる現実に移行するという独特の視点が、論拠の一つであるメービウスの帯やよじれた数珠そのもので、従来の氏の「です」「ます」調に見られたやわらかさは置かれ、氏自身の確固とした力と次元の高さを示す口調となっている。
 また、本書の対象を、素人からその道の専門家に至るまでという読者層に据えていると思われる姿勢に、氏が生涯をかけて追求しつづけた思想の集大成的なものが投入されていると見るべきであろうし、マンダラ解明の基本となる数=記号の分析と図解をはじめ、氏のマンダラ考察にもそれがうかがえる。妙秀尼の目の患いを「マンダラの世界に行った」と見、また注連寺で枕経をよむ力量や「道をつくるということは世界をつくるということ」という<道>に対するひとつの信念などからも仏教への深い薀蓄と自負が感じられる。
 その観点からすると、作品集『鳥海山』が『月山』への遍路の世界であるとすれば、一昨年刊行された『意味の変容』は『鳥海山】であり、『マンダラ紀行』はまさしく本然を求めた『月山』そのものに当るといえるだろう。
 空海(弘法大師)がもたらしたマンダラの原点を追いながら神護寺、東寺、東大寺、高野山町石道、さらに四国まで辿る道程の中で、胎・金剛の論の展開は出羽三山から始まっているが、六つに分けられた各章は和歌によって扉が開かれ、歌がその章の内容を暗示し、また如来への導きを象徴している。いわば和歌は町石(道しるべ)の役目を果しつつ、マンダラを解読する氏の道程が、そのまま氏の思考構造のマンダラ界となっているのである。つまるところ、本書は氏の造詣の深い空海を根にしたマンダラ解明の旅であり、それだけに見方を変えると多くの示唆を得ることができる。この世界に疎い読者には、そういう思考の方法に驚きと発見のよろこびを与え、知る者にはその論理の展開の仕方に興味が湧くのではあるまいか。そのため、軽く読もうとすれば消化不良を起こしかねないが、丹念に読めばその深奥は尽きることなく、マンダラを通した仏教思想の広がりと、その底にある仏教哲学というものが次第に分ってくる。これは本書のもつ独特の個性であり、読者にはそれを解明するたのしみがある。(四六判、一五六頁・一二〇〇円・筑摩書房)(いのうえ・けん氏=日本大学教授・日本近代文学専政)
 ★もり・あつし氏は作家。著書に「月山」「鳥海山」「わが風土記」「わが青春わが放浪」「意味の変容」など。一九一二(明治45)年生。
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