066 われ逝くもののごとく 森 敦著
   不可思議な生の奥義          
(川西政明・文芸評論家)
出典:河北新報 昭和62年6月16日(火)
 表題は、「論語」の「逝(ゆ)くものかくのごときかな、昼夜を舎(お)かず」(子罕第九)から来ている。この解釈は、おおむね次の二つに代表される。
 一は、悲観(詠嘆)の説で、人間の生命も歴史も、この川の流れのように過ぎ去り、うつろってゆくと説く。二は、希望の説で、宇宙は、この川の流れのごとく無限に持続、発展すると説く。人間も同じ法則のなかにいると。
 森氏は、これを命題としつつ、これに従わぬ、万物一如のマンダラ世界を造形した。
 作品は、月山と鳥海山を見晴らす庄内地方が舞台である。時は、戦中から戦後の動乱の時代が設定されているが、これは奥へ入れば入るほど、現実の時間を超越し、永遠の時の相へと移行するよう仕組まれている。
 一応、物語のタテ軸として、即身仏を信じるじさまを中心に、ばさま、だだ(父)、がが
(母)、サキで構成する一家が設定されている。これは、生きながら即身仏になったものは、永久に完成されることのない生物の存在によって支えられているということだ。
 この一家を囲んで加茂という一つの村があり、一つの空間を形成している。その空間の外部に幾層もの空間がある。
 この他は、また、大日様を中心に四方に仏を讃(たた)える真言の地であり、マンダラ世界を構成する。
 前半は、じさま、ばさま、だだの「逝くもの」としての運命が克明に語られる。この地方では「逝く」ことを「逝(す)ぎた」というが、この言葉は「助(す)けた」に通じる。じさま、ばさま、だだの死を境に、すべての人間、すべての生物が「われ逝(す)くもののごとく」の合唱の世界へと融解してゆく。
 すべては、無数の小波のきらめきのごとく、絶えず生成しつつ、瞬時に消え、また起こって永遠に続くと。この長編は不可思議で玄妙な生の奥義をとらえた森敦氏のライフワークである。
(講談社=三、二〇〇円)
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