068 われ逝くもののごとく 森 敦著
   生死溶け合う大河物語
出典:読売新聞 昭和62年6月22日(月)
 芥川賞受賞作「月山」が発表されてから十四年、この作の舞台となった山形県庄内地方に作者が過ごしてからはほぼ四十年、長い歳月をへだててふたたび同じ舞台の上に構想されに物語である。
 こういうと、古い歌のくり返しではないかと、あるいは疑われるかもしれない。たしかに、南に月山、北に鳥海山を望む、日本海沿いの街や村、港や寺や社が、ゆるやかな叙述に応じて次々に浮かび上がってくる所は、以前の諸作と変わりないといえる。しかしはっきり異なるのは、「月山」及びその姉妹編と呼ぶべき「鳥海山」連作が、短編ないし中編程度の規模であったのに対して、この新作は七百ページになんなんとする大長編だという点にある。もちろんただ長いからといって、重んずべきいわれは何もない。この作においては、終始洋々たる物語の大河が、ゆったりと、しかもたゆみなく河口に向かって流れ続けていることに、十分注目するいわれがある。
 何より、物語の広い流れに、生ばかりか死までも溶けこんでいて二つの力強いうねりを作りだしているのを指摘したい。話の筋は、土地の貧しい漁民が召集され、戦地に赴く場面から始まるが、やがて戦死の報が入り、戦争が終わった混乱の日々の中で彼の老いた両親も相次いで死に、妻と幼い娘だけが残される。この母と娘のたどる道がその後展開する物語の中心を貫いていて、それは戦後生活の窮乏を映していると見れば見えようし、また彼らをめぐる人間たちの大半が、申し合わせたように死んで行くあたりも、時代の悲惨を伝えていると受け取れないではない。
 しかし実は表題が暗示する、昼夜をおかずに流れる水がそうである通り、ここでは時間は別々に消え去りながら、その消え方において常に不変なのであり、その時間の中では生が死に向かうとひとしく、死もたえず生へと回帰している。長々しい物語の展開に応じて、現世と別の異界を訪問する幻想談や、即身仏(ミイラ)となる願望を抱いて自殺する男の奇談などが入り混じるにしても、生死の一貫を見定める作者の眼の確かさは疑いようがない。
(講談社、三二〇〇円)
 ◇著者略歴 一九一二年熊本県生まれ。作家。作品に「月山」「意味の変容」など。
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