078 大波小波 大河小説の運命
出典:東京新聞 昭和62年7月21日(火)
 森敦の七百ページにもなる長編『われ逝くもののごとく』(講談社)についての書評もだいぶ出そろったが、この作品を現代小説のなかにどのように位置づけるかは簡単にはいかないようだ。
 『月山』と同じく庄内地方を舞台とし、生者と死者をつらぬく時の変幻のなかに、日本の風土と宗教をとらえたこの作品をいかに評価するか。小島信夫は、マルケスの『百年の孤独』とくらべ、「前例を見ない現代小説が生まれた」(「週刊読書人」六月二十二日号)と高く評価する。また、岡松和夫はこれは近代の写実小説ではなく、「民話小説と考えるとともに、宗教小説ともみた」(『海燕』八月号)と言っている。
 近代小説のいわゆるリアリズム信奉が解体した現在、この“大河小説”を何と名づけるべきか、評者は困惑しているようである。だが、それ以前にこの長い作品を読み通す読者はどれほどいるだろうか。文壇人にしてもどのくらいの人がちゃんと読んでいるか。これだけの長さが果たして必要だったのか。いろいろと問われねばならないだろう。
 『文学界』七月号の対談「文学を害するもの」で河野多恵子は、作品を「本当に徹底的に論じ合って、それがある評価とある場所で定着する」ことがないから文学は不振なのだ、と語っていたが、『われ逝くもののごとく』のような小説こそ「徹底的に論じ合って」しかるべきだろう。
(即身仏)
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