085 小説における意味
   ──森敦『われ逝くもののごとく』を読む──
小島信夫
出典:文學界 昭和62年10月1日
『われ逝くもののごとく』を読んで、作者と対談をしたり、書評新聞に感想を述べたりしてから二ケ月ばかり経った。こんどこの文章を依頼されて読み返すつもりでいたが、あわただしく落着かないし、私の中にもともとしばらく先きに、私ひとりの楽しみとして時間に制限なく心ゆくばかり読んでみたいと考えていたので、私自身の我儘から二ケ月前の読後印象を元に思い浮ぶことを書いてみることにした。
 私にはこの小説の登場人物が、残っていて、あのままの姿で私の中に生きているような気がしている。私が読み返さないもう一つの理由は、それはそっとそのままにしといて、私自身がこのまま馴染みたいと思っているのかもしれない。「あねま屋」と呼ばれる遊女屋に生き、まだそこで客の相手をしていたり、親方の奥さんになったりしている女たちは、いわば私自身の長姉の姿でもあるので、その一言一言、一挙手一投足に私は熱い心をそそいだ。私は前に『美濃』の中で彼女のことにふれたことがある。その後「青衣」という短篇で一人の、昔を思い出しながら書いた遊女の手紙をあつかった。「青衣」を書くときに、森さんに遊女のことが出てくるのだといったところ、森さんは、即座に「からゆきさんの中には成功者がいて、帰国すると、立派な家を建てみんなから尊敬されたものも沢山いた」といわれた。私は「青衣」を書くうちに、その遊女が私たち仲間は、みんな自分のことを観音さまだと思っていたのだというふうに自然になって行った。この考え方、感じ方は、昔からみんなの中にあったはずだ。そうでなければ、私がそんなことを語らせることが出来るはずはないからだ。「青衣」の遊女と、私自身の、遊女であった姉とはあまり関係がない。私は遊女のときの姉のことは、想像することができない。足袋職人の若妻となってからの姉しか知らない。「あねま屋」の一人の遊女は」船主の「親方」のもの静かな妻となり、誰にも理由がさだかには分らぬままに死をえらぶように書かれている。みんなの間で自殺の理由が疑問視されるのは、この小説の中では、この人物ひとりだけのようだ。しかしこれは理由はほぼ分っているのに、「なぜ死んだのだろう」といっているだけだったかもしれない。さびしくて仕方がないと思っているらしく書かれていたようだった。私はこの女のことをこれからも考えてみたいし、注意して読み返してみなければならないと思っている。
 「あねま屋」で文字通り観音さまの役割をになっているのは、お玉という女である。彼女は読者の前に姿を見せるのは、私の記憶では二度である。あとは男たちの話題となったり、サキという少女の母親であり、戦死するダダの年上の妻の怨嗟の的として立ちはだかるのみだ。後家となっても彼女がお玉に苛立ち、まるでおびえているみたいな理由は、夫が彼女と結婚する前夜、一人前の男としての夫婦の営みが出来るようにというわけで、お玉と交わっているということと、何故か知らぬが、娘のサキがお玉をなつかしがり、お玉もまたこの少女を可愛がっているということのようである。このような二人の女が一つの町に住んでいなければならない、ということ、そしてこの後家の気持を誰ひとりほんとうには理解してやろうとはせず、たとえ理解しているとしても、それを口にしたり態度にあらわして何の役に立つだろうか、と思っているらしいことは、たいへん気の毒なことである。
 作者はお玉にほとんど物をいわせていない。そういう作者の扱いにさえ腹を立てているように見える魚行商の彼女を、妻を亡くした親方がなだめるように抱いてやり、彼女は彼を待つようになる。腹立ちまぎれに娘のサキを睨んだり、ガミガミいったりして、みずからイヤになったりする彼女が、親方の前で無言である。眼さえ伏せてしまう。センベイぶとんを敷いて待っていた。親方の膝の間に黙って手を入れる。すると親方は実に静かにそっと抱いてやる。彼は彼女の年下の夫を戦死させたのは、自分だと思っている。このなまめいた場面で男である私がどういうわけかこの親方よりも抱かれる彼女の方になるのは、苛立たねばならぬ彼女が哀れだからであろうか。この場面を忘れることができない。何だかこれはきわめて貴重な場面であり、貴重な事件であるような気がする。私はいま苛立たねばならぬ彼女が哀れだからだ、といったが、まったくとはいわぬまでも、ほとんど当っていないかもしれない。これはこの小説全体とつながってのことに相違ないからだ。たぶん、そうしたつながりの中で読み進んできたとき、突然眼がくらんだようになり、身も世もあらぬ状態になる。もしそうであるのなら、それからも拡がるはずの小説世界の中の一コマであることを知りながらも前後があることさえ忘却してしまったような気分になるのは、どうしたことであろうか。
 作者は私との電話での会話の中で、「ぼくは目下エロチック小説を読んで勉強しているところです」といった。
 私は同じような気分になったのは、次のような場面である。義太郎は影のうすい人間である。彼は復員してきて、同じように出征して死んだ友達である「ガガ」つまり魚行商人の女房の夫(サキの父)と見まちがえられる。義太郎は先ず最初に友人の家を訪ねたのであった。こういうことは復員者にはよくあることだ。友人の死んだことや、死んだときの有様をまがりなりにも伝えるつもりなのだ。ところが彼は待たれざる人物なのだ。義太郎の妻は、既に彼の弟と結婚してしまっている。その家族にとっては、死んでしまった人間であり、いつまでも死んだままでいてくれることを願われているのである。なぜなら、弟が嫂と結婚したときにおいても万に一つは、帰ってくる可能性はあったからである。彼が自分の家を訪ねる前に、彼の復員は、町の噂となり、「どうしたものか、どうしたものか」とヒソヒソ話しの対象となる。こういうさいに、こういう町の義太郎の縁故のある者、友人たちが、ただ困るだけではない。生きる者誰にも責任はない。運命の作り出したスキャンダルである。こういうとき困った、困ったと口にするものが、どんなにしょげながら生き生きもすることであろう。そんなふうに語られている。
 義太郎はどうして真相を知ったのかいま私の記憶にないが、とにかく家にも帰らず、もちろん妻にも弟にも会うことなくうろつく。あねま屋出身の女(たぶん婆さまであろう)が「神さま」となって、死んだ者の声を呼び出している家の窓からサキの祖父、の爺さまがふと覗くと、──いやそうではない。「あねま屋」でそれまで毒づいていたお里というあねまが窓から覗くと、そこに立小便をしている若者がいる。それが義太郎である。たぶん彼はこのときからかわれたであろう。(この違いは重大であるが、アイマイにしたまま先きへ進むことをどうか許していただきたい)
 義太郎は大分あとになって噂の中の存在から、やがて手紙の中の存在となる。彼が伊豆の漁師の網元の家に厄介になっているという明るいニュースが入りそれが噂となる。噂を伝える者たちの悦びを察してもらいたい。「この世は夢か幻か」をギターをひきながらうたっているのは誰であっただろうか。親方が舟から身を投じて死んだあとのことであったか。その席で義太郎のニュースが披露されたのであっただろうか。私の記憶の通りならば、網元は善念大日様の妻である。彼女は夫に愛想づかしをして実家に帰ったのだ、といわれている。彼女の実家が網元なのであったと思う。長篇小説『われ逝くもののごとく』の中で、鶴岡の紙屋の女房、彼女が連れ立って歩く上海というアダ名の男などをめぐる度々の話題のほかは、これは最も明るいニュースである。このニュースのあと彼の長い長い再生の船出を伝える手紙が到着する。この手紙は彼の仲間たちのいるところで読み上げられる。これは義太郎が師として生活、それからいよいよ南の海へ出発し、船上での日々の生活の生気溢るる報告である。手紙でなくて、どうして生活の仔細を人に思うざま伝えることができようか。てこで彼は時々、この小説の人物にも、時には地の文をも埋め尽している、あの懐しくも、この小説ぜんたいの世界をたえまなく濃密に支えつづけてきた庄内方言を遠慮がちに、ここだけは、どうしてもおれ達の言葉をつかわなくては、というところだけは、なあ、といったふうに語っている。仲間たちのあいだの言葉がこんなに痛々しくも悦ばしくも豊かに用いられていることは、ほかにはない。義太郎は、彼の手紙の中で、さっきもいったような再生の悦びに溢れていて、これからいつまでも生きて行くように見える。ところがそのときとつぜん彼の死を伝える電報がとどく。
 このとき私は気づいたかどうか怪しいが、いま思うと既に気づいていたのではないだろうか。義太郎の死だけが事故死だということだ。というのは、この小説の中にあいついで起る死は、それぞれの理由を秘めた自殺であるか、それに近いものであるか、後生楽だとつぶやいている老人か、その死を見ながら笑いながら死んで行くその妻であるところの婆さまであるかだからだ。もっとも小説は「ダダ」の出征と戦死の報告から始るが、これは義太郎の場合の死とは異なることは明らかである。
 義太郎の長い手紙と、電報による短かい死の通知が、あるいは短かい電報の通知をともなうところの長い再生の報告が、(電報の方が先きに到着したのかもしれない)強い残像をひきおこしたのは、何故であろうか。
 考えてみると、南の海の操業ほど死の危険にさらされているものはない、ともいえる。彼が生き生きと手紙を綴るのは、金になるからだけでなくそのような仕事であるからだろう。だから彼が事故で死んだとしてもすこしも不思議はない。
 私は読んでいて、わけもわからぬようにして印象に残った二つの例をあげた。その理由はひょっとしたら、この稀有な大作品の流れの中で片時も止むことのない作者の声を忘れてしまうようなところがあるからではあるまいか。もちろん、これは錯覚だ。何故なら、このような魅力的と思える事件あるいは物語を伝えているのは、まさに作者という語り手であるからだ。どうして忘れることができよう。
 たとえば、この二つの箇所をもし私がこの小説を読んでいない人に伝えようとして、その感動を伝えることが可能だろうか。「ああ、そういうことなら大したことではないじゃないか」という答が返ってきてこちらは白けてしまうだろう。しかし、くどいようだがもしこの一巻の大小説を読み終えた人に対しては違う。ちょっと触れかけただけで、たちまち、「そうだ、そうだ」という相槌に攻められるだろう。
 この小説を未読の者には私はこの部分を読んできかせる必要があるだろう。そうすれば、私の声や私の言葉で話してきかせたときとは別のものを感じるだろう。それは描写に、何か特徴があるとか、とくに微細であるとか、いかにもそれらしく語られているとか、というようなことではない何かが、影の如く寄り添っていることに気づく。したがってこの部分の物語を取り出して要約したり、したときには消えてしまうものがあり、その寄り添うものとのかねあいこそが重要であり、魅力的であり、ある衝撃をあたえつつあることを知るであろう。どんな小説の場合でも魅力的である箇所を要約して魅力を伝えることが容易だというわけには行かないが、そしてこの小説の場合はとくにそうなのだ。
 私はさきほど、「寄り添うもの」といった。寄り添う声といった方がいい。その声はずっと前から、つまりこの小説の冒頭からきこえてくる声と密接な関係がある。その声は小説の終りまでつづく声である。こうしていかにもありふれたようにさえ思える小さい物語が一瞬光芒となる。しかしその光芒は独立した塊のように感じることも事実だ。そうであるなら、魅力はその独立してみえるところにあるのかもしれない。すなわち、作者の声に乗りながら、一瞬声を裏切りそうなほどそれ自体で生命をもっているということだろうか。
 ところが、我に返ると、あっという間に小説世界の意味を強め、したがって小説世界を深めるために役立つように思われる。もともとそういう役割を果さない一つの言葉も人物も場面もないからだ。「ガガ」(サキの母親)は、小説のなかで、一番濃密に平凡な人間であり、女である以上どこの地方にも、都会にも住んでいそうな人間である。義太郎は出羽三山と庄内平野とその地方の海岸を洗う海に育った人間であるが、必要やむを得ず、作中人物のツテを頼りに伊豆へ行き南の海へ漁に出る。そうして二人とも、私がさきほどからくりかえし述べていることだが、「一瞬」この小説を揺り動かす。だが、「揺り動かし」たのは、作者自身であり、作者の声である。それを感じ思ったせいか、眼がくらみ、むしろ自分が暗闇のなかに佇んでいるようだ。作者は最近電話の話の中で「ぼくは伊豆の女網元のところに厄介になっていました。といったってぽくのことだから、彼女との間で何が起るわけでもなく、義太郎のように海へも出かけて行きました。ぼくが何者だか分らず、分った顔をしていました。生活は楽でした。都会から米をもって塩を買いにきましたから。あの頃は塩が貴重で、あのあたりではみんな塩を作っていましたから」
 この小説は、意味の変容を構造化したともいえるものではないかと思う。作者には『意味の変容』というエッセイがある。それから『マンダラ紀行』というエッセイもある。かつて『意味の変容』のもとになる原稿を書いていた頃、作者は、「ぼくはこの本一冊を書きのこしておけばいいのです。さいわい現在印刷所にいるので、大きい活字で組んで二十五部ぐらいこさえ知人に配ればそれでいいと考えている」と洩らした。またある時は、デカルトの『方法序説』とかスピノザなどのことを語り、あるときは、孔子の『論語』のことを語り「ぼくはソクラテスより孔子の方をよしとする」とも語った。私には何だかすべて驚きの的であり、気分が爽快となった。夫人が思いがけず亡くなった。それからしばらくして、ふいに森さんから「月山」の原稿を書きはじめているときいた。それまでのように同人誌に載せるものではなかった。私がこんなことを述べるのは、森さんの小説には、森さん独自の意味との係りがあるところが、作者自身が私たちには意味と見えぬところに意味を見つけ出して語ってきかせるようなところがある。それにもかかわらず、山は山であり、秋は秋であり、冬は冬であり、吹雪は、とくべつの名をもつとはいえ、吹雪であり荒れ寺も寺である。そこに登場する人々も、濃密に人間であり、その証拠に方言を用い、今あげてきたほかのすべてのものがそうであったように、そこにあるもの以外ではない。月山はその名のように月の山といわれてきた以上、今や月の山以外ではない。(山も人も河も犬も、過去につながり、したがって未来へもつながり、つながる以上、ただつながるだけではない)その山の紅葉はただの紅葉ではなくて、極楽であるのだろう。極楽とみまがうということは、そう見ようとしているのが、そう見えているのであろうか。おそらく両方である。そこに隠された意味があるからだ。「私は月山の山ふところで一年を過した」という森さんの『われ逝くもののごとく』の折り込みのただ事実を語ったにすぎぬかにみえる文章を読んだだけでその前後に何が書かれてあろうとも、もう問題ではない。『われ逝くもののごとく』の小説世界があとからあとへと浮び、つらなってくるように思われ、その怒涛の波にもみくちゃにさそうな気分になる。梵字川ときいただけで、もう駄目だ。「あねま屋」ときいただけで、「ガガ」とか「ダダ」とかきいただけ意味がたぶん変容をくりかえし、その度に物語をひっさげてくる。何故「たぶん」と私がいうかというと、このように大ざっぱにしかいうことができないほど、変幻自在なかんじがするからだ。多くの人物たちは、小説の中に登場するということは、やがて死すべきためなのである。人は誰もこの世にいつまでも生きつづけることはできやしない。そんなことは誰でも知っている。しかし小説の中において彼らが死すべき気配を帯びて生きはじめているということは、生きているということは、そのこと自体死ぬことであり、彼岸への道を逝きつつあることだ、ということなのであろう。このようなことはリクツとして分りきったことだ。しかし生きているということは、このままいつまでも生きていると思うことである以外の何事でもない。このことを軸にして、森さんの『意味の変容』は説かれているように思う。如何せん、つきつめたところ、このようなことではあるまいかということぐらいしか、いま私はいうことができない。(といって私がその気になれば解析できぬというわけではない。そういうことは読者としては悦びを感じるときに、変容は行われているので、私はその悦びを享受したい)
 とはいっても、彼らはなぜこのように次々と自殺するのだろう。自殺する運命にあるのだろう。運命を知っていて死を決意しているもののようなのだろう。その気配はあるといっても、それはいよいよ死に近づいてからであるので、それ以前には自殺する気配は表立ってはいないといってよい。なぜ彼らは自分の秘密を守っているのだろうか。私たち読者というより周囲の人物たちは、彼らの中に入りこむ余地がない。相談に乗ることもない。相談をしないものだから。それにたとえ自殺の気配を感づいていても、それは立入るべきではないことのように思っているのだろうか。それより、なぜ自殺せねばならぬ運命をもっているのだろうか、と考えるべきであろう。すると忽ちにひらめくのは、次のようなことだ。私たちすべてが本来生を受ける以前からの暗いものを背負っている、ということだ。彼らは誰にも仄かさず、まるで救われるために、馴染みの世界へ移行するように、死んで行く。といったようなふうにみえている。庄内一帯を覆うかにみえる「われ逝くもののごとく」の、本気とも、からかいとも、つかぬ経文を唱えるような少女サキの声がそれと呼応していることは、誰にも分ることだ。犬にまで、「われ逝くもののごとく」という名で呼ばれることに注意しないわけには行かない。犬はもちろん「われ逝くもののごとく」を拡めたと思われる洞崖に住んでいた一人物のところにいたと語られる。「われ逝くもののごとく」がその人物のアダ名となり、犬のうえにまで伝染したというわけだ。この人物は、小説中のおびただしい死を一つ一つ知っているわけではあるまい。サキもまたそうだ。そうであっても彼らの口にするこの経文のよぅな文句はそれらの死に呼応し、やがて私たちの知っているような多くの死を知っている生き残りの人物たちの口をついて出てくるというふうになっている。
 私はこの大小説のことを思い浮べながら、一地方の歴史や山野や町や土着に密につながっていながら、それでいて一種のお伽話だというように感じる。私がお伽話と呼ぶのは、トルストイやドストエフスキーの大作品もそうだ、というつもりなのだ。私は世の中の意味を引き受けて小説世界を展開すれば、たぶん、そういうことになるのではあるまいか、というようなことなのだ。「お伽話」という名づけ方は誤解を招くかもしれないことを承知で、こういいたい気がする。とつぜんの死の発生ゆえではない。それに見合うすべてのことがそういわせると私は考える。
 作者はこの小説を書きながら、この二人のロシアの作家の全集をつづけて読んでいたようだ。作者がこの二人の小説を学んで似たことを書こうとしたなんてことはまったくない。もちろん自分を鼓舞するためであろう。鼓舞すべきことは何であったか、私もよく分らない。彼らの宗教とか信仰とかは日本においてどうなのか、ということを考えていたのだろうか。いずれにしても作者の中で既に用意されているものを確めるためであったことは間違いない。作者は連載が終りに近づいたときトルストイの『戦争と平和』の付録ともいうべきエッセイにふれて、「ぼくああいうものが最後に出てきてもいいと思っている。」といっていた。(連載が終ってから、大幅に書き改められた)
 私はいま、ある意味をもとに、小説世界を客観的に展開するということは、たいていの場合説得力に欠けるものだと思っている。作者の意味がその世界を閉ざしてしまうからだ。ところが『われ逝くもののごとく』は、先ずそうではないというに近い。それはその「意味」の内容、「意味」のあり方とに係っている。この場合の「意味」は世界を幾層にも開く性質のもののようである。すくなくとも開くように思える手応えのある性質というべきかもしれない。そして作者の「意味」さえも油断すれば固定しかねない。けっきょく固定しかねない。けっきょく固定するか、しないかは、小説そのものが語るだろう、という姿勢とも無縁ではない。この小説は作者の語りに終始しているのに、こうした「意味」の自由を勘定に入れてるという態度を失っていない。すくなくともそうした態度を失わない、と信じていないから語りをひびかせているのであろうか。
〈了〉
↑ページトップ
書評・文芸時評一覧へ戻る
「森敦資料館」に掲載の記事・写真の無断転載を禁じます。