090 芭蕉の神髄に迫る教養と年輪
   われもまた おくのほそ道 森敦著
出典:産経新聞 昭和63年10月24日(月)
 来年は『おくのほそ道』三百年にあたる。七十六歳、足も不自由になった森さんは、NHKの撮影隊とともに、ワゴン車で『おくのほそ道』をたどる旅に出た。そういえば、氏の放浪の軌跡は、たまたまそのコースに一致していることが多かっただけに、旅人として、さらに何よりも生活者として、芭蕉の心を実感できる適格者というべきか。
 芭蕉は、旅立ちの前、すでに他人に譲った旧芭蕉庵を訪ねるとその人には娘も孫もいて雛人形も飾ってある。「草の戸も住み替わる代ぞ雛の家」という句を作って、表八句のつもりで、現在の住み家である採荼庵の柱に掛けておいた、という記述がある。
 森さんは「表八句のつもり」という表現にこだわった。表八句とは、俳諧の連句の用語で、芭蕉もこの道には通じている。表八句は出だしであり、百句で連句が完結する。陰陽などさまざまな句を対応させながら連想を重ね、意味を変容、変換させていく。奥へ奥へと組み立てていくことによって時間が生じ、おのずと起承転結という形ができる。「『おくのほそ道』には連句の技法が縦横に駆使されている」と見て、芭蕉芸術の奥底に追っていく。
 “矢立の初め”の句は「行く春や鳥啼き魚の目に泪」であった。旅の終わりの大垣で「蛤のふたみにわかれ行く秋ぞ」と読んだ。「行く春や」を「行く秋ぞ」に変換させ、陰陽をなさしめた、見事な手腕に目を見張る。
 太平洋側では源義経に、日本海側では木曽義仲に思いをはせる対応ぶり。そして「夏草や兵どもが夢の跡」と義経滅亡をうたったあと「五月雨の降りのこしてや光堂」へと変換させ、一炊の夢に終わった藤原三代の栄華の形見に感慨をこめる。
 こうした数々の対応、変換の例をあげる一方で、苦難など感情が究極に達すると滑稽に変換させる芭蕉の文章のクセも指摘する。
 こんな読み方もあったのかと目が洗われる思いがする。“訓詁の芭蕉読み”でなく、芭蕉の高度な構成技術を解剖し、教養と人の年齢の厚みで読む者を納得させる。(日本放送出版協会・一五〇〇円)
本社文化部担当部長 影山勲
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