098 われもまたおくのほそ道 森 敦著
   芭蕉の苦心、具体的に
出典:毎日新聞 昭和63年10月4日(火)
 わが国最高の紀行文学といえば、誰でも「おくのほそ道」をあげるだろう。芭蕉は生涯に何度も旅行をしたが、「おくのほそ道」の旅は最大のものだった。元禄二年三月に江戸をたち、約半年かけて奥羽、北陸を経て大垣に至っている。本書は「漂泊の思い」断ちがたく、しばしば旅の生活を送ってきた森氏が、この大旅行の跡をたどり、芭蕉の豊かな文芸の世界を再発掘した作品である。この紀行文学がいかに見事に構築され、俳文芸としての妙趣を湛えているかを、氏は鮮やかに解明してくれる。
 元禄時代の旅は歩行だったが、氏はワゴン車でその行程を追っていった。無論、芭蕉の旅を、そのまま追体験することはできない。しかし氏は、同じ旅程を跡づけながら、作家の洞察力で芭蕉の創作心理や作品の制作過程を照射していく。
 「おくのほそ道」にかなりの虚構があることは、「曽良随行日記」と照合して、すでに多くの研究家が指摘している。この点、森氏は「おくのほそ道」を連句の技法を駆使した連想の文学と捉え、特に作品構造の対応に注目した。旅立ちの一旬「行く春や鳥啼き魚の目は泪(なみだ)」と、巻末の「蛤のふたみに別れ行く秋ぞ」は、「行く春」「行く秋」が対応し、これによって作品が完結する。作中の虚構は、こうした対応を際立たせるため意図的に行われたものだ。中国の漢詩、西行らの和歌など先人の文学を踏まえながら、連句構造によって新たな俳文芸を創出した芭蕉の苦心が、具体的に浮き彫りされて、非常に興味深い。
 芭蕉は「笈の小文」の一節で、紀行文に対する持論を述べ、書く以上は誰でも言えることではなく、黄山谷の奇、蘇東坡の新しさが必要だという趣旨を強調した。「おくのほそ道」は、まさにその抱負を実現した新しい文学の創造にほかならない。森氏は原文の現代語訳と作品構造や創作心理の解明によって、この代表的古典文学の核心を探り当てたといえよう。
(日本放送出版協会・一、五〇〇円)
 
↑ページトップ
書評・文芸時評一覧へ戻る
「森敦資料館」に掲載の記事・写真の無断転載を禁じます。