101 時評
   小春日和のような好短編
   森 敦氏『浄土』 (抜粋)
奥野 健男(文芸評論家)
出典:産経新聞 夕刊 昭和63年9月29日(木)
 今月号の文芸雑誌は何か人生の終焉(しゅうえん)を漂わせた作品が多い。死者あるいは死に面した人を書き、その昔を思い出すという手法での佳作が目立つ。
 
 森敦の『浄土』(群像)は昔ソウルが京城と呼ばれた植民地時代、鍾路小学校に通っていた作者は永楽町の西本願寺別院のあたりから通っている色白で目のぱっちりした可愛い女の子から“敦ちゃん”と呼ばれ、教室の席も隣なので仲よかった。仲よいと言ってもむしろ大谷という女の子にいつもやりこめられていた。誘われて遠い東大門の側の忘憂里という土饅頭のある墓場に蕨(わらび)取りに行き、バスケットのサンドイッチを食べながら遠く慟哭(どうこく)の声を聞いた。お墓の人がよろこんでひらひら踊って歌って、“まるでお浄土のようね”と、大谷という女の子は言った。そのことを週刊誌の連載に書くと、大谷昭乗の妻で旧本願寺派連枝であった大谷寿子からしらせがあり、琵琶湖の福田寺に病中の彼女を訪ねると「こんど生まれたら、敦さんと一緒になる」と呟く。名産物が送られ、電話で礼をいうのが恒例になる交際の未、やんごとない血筋の寿子は大往生する。騎馬民族のことなども挿入され、小学校の頃の思い出が、少女の少年への想いが小春日和のように浮かぶなつかしい好短編である。
 
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